****** 大会データ ****** ----- 大会寸評 ----- 時期的に暑くなることもあり記録狙いには向いているとは言えないが、制限時間7時間でエイドも多く、初心者からベテランまで楽しめる大会。 終盤でのシャーベットステーションが名物なので、記録を狙わないのであればゆっくり味わうのも一興。 昔からマンモス大会ではあったが、今年はフルの部が18000人と相当なマンモス大会になった。 河川敷という地味な場所柄、景色は単調。 沿道も賑やかとは言えないが、少ないながら熱心な応援は励みになる。 時期的にも制限時間的にも、マラソンデビューには適した大会。 ----- 概要 ----- 種目:フル、5kmなど。陸連公認大会。 最寄り駅:JR埼京線 浮間舟渡。ただし相当混む(ホームが人で一杯になるし、駅から会場も激混み)ので、早めに会場入りする人以外は戸田公園から徒歩の方がいいです。 浮間船戸駅から徒歩15分ほど、戸田公園からは25分ぐらいかな。 スタート時刻:フルは9時 参加者数:フルの定員は15000人だが、18000人(男性16000人、女性2000人)が参加したそうです。ねえ、定員ってなあに?。 完走率:97%前後と高い。制限時間が長いので、健康な人なら諦めなければ完走できる。 ここで完走できないとなると相当・・・ 制限時間:7時間。 関門:あり。 参加資格:なし。 ----- コース・計測 ----- 計測方式:RSタグ(ランナーズスポータグ) 計測内容:5kmごと、中間点、フィニッシュタイム、ネットタイム計測あり。 記録検索:ランナーズアップデートで記録検索可。また応援naviでリアルタイムでランナーの位置が分かるサービスあり。 記録証:後日郵送、B5サイズ。ラップタイム記載なので親切。 ペースセッター:なし。 ゼッケン枚数:2枚。 ゼッケン番号順:申告タイム順のようです。 コース:荒川河川敷、戸田橋付近をスタートし、下流の荒川大橋で折り返して、スタートに戻る。 コース上トイレ:あり。仮設もあるが既設もある。 アップ場所:コース上。ただしスタート30分前以降は禁止。 キロ表示:1kmごと。 スタート順:陸連がCブロックまで。一般はDブロックから申告タイム順らしい。 ロスタイム:Gブロックで3分。最後尾はたぶん20分近いと思う。 給水:15カ所。たくさんあるので心配はいらない。ただ今年はスポーツドリンクが出ていない場所が多かった。品切れって感じじゃなかったので準備していなかったのかな?。 スペシャル給水:なし。 給食:アンパン、バナナ、レーズン、飴、35.3kmにはシャーベット。あと、運がよければ俵型おにぎり。 第一給水(4.2km)からレーズンが置いてあるので、食料事情は相当いい大会。 復路の最後尾を見たがバナナが余っていたから、後方ランナーでもくいっぱぐれは少ないはず。 私設エイド:数カ所あり。ただし小規模。 スポンジ:4カ所あり。 スタート前給水:なし。 ゴール後の飲食サービス:紙コップでスポーツドリンクと水とホットドリンク。 ----- 環境 ----- 声援:少ないが熱心な応援がある。 仮装:自由だが、数は少ない。 参加賞:タオル。別途500円で帽子、値段なりだが練習用としては充分。 参加費:6000円+手数料 荷物預かり:貴重品以外のみ。ゼッケンの札が同封されているので、忘れずに荷物に付けましょう。 着替え場所:テントあり。 会場トイレ:仮設多数、相当混む。1時間前までなら待ち時間はたいしたことないが、40分前にはもう並ぶ気がしない大行列になっていた。 とにかく早めに行きましょう。あるいはスタートしてからコース上のトイレまで我慢しましょう。そっちも混んでいるけど。 プログラム:数ページ。 写真屋:ライブフォト(国際航空写真株式会社)。3年のブランクがあるからか初めて聞く会社だ。 招待選手:猫ひろし選手。他に資生堂から2人参加予定だったが故障で欠場。 気温など:スタート時晴れ、13.0度、湿度34%、西北西の風0.9m/s(主催者発表)。 走っている間は20度ぐらいになったようです。 全体を通じて晴れ、風は弱い風が時々。暑かったので、冷たい風がありがたかった。 ----- 個人データ ----- 体重、食生活:前日の体重59.1kg、体脂肪11.8%。 昨年10月から糖質制限を止めて、米を食べる生活に戻した。 昨年4月から懸垂とプロテイン生活継続中。 ウエア:NB高機能帽子、アディダス黒長袖シャツ、リストバンド、ロングタイツ、厚めの指なしソックス(Wマーク入り)、シューズは買い置きしたイダテンダイナ2が小さく、直前に買ったゲルフェザーグライド2。 ダメージは両足中指マメ、左足薬指上部痛、右足人差し指と中指の爪内出血、全身筋肉痛。 脚は右足アキレス上部痛、膝上太もも痛など。 久々のロボット歩きながらも数日で回復、おおむね軽症。 |
【故障のこと】 3年前の2月、二回目の東京マラソンを走行中に異常なほどの両足ふくらはぎの張りを感じました。 このシーズンはマラソン10年記念と銘打って、11月につくば、12月は防府、1月は勝田と、毎月フルマラソンを走っており、1月は谷川ハーフにも出ていたので、蓄積疲労だろうと思っていました。 東京マラソンはなんとか3時間半を切って完走しましたが、シーズンに一回3時間半を切れれば満足というレベルの私にとっては、つくばから4大会連続での3時間半切りは過去最高の好調でした。 つくばと谷川ハーフではフルとハーフのベストも更新しており、まさに過去最高の出来、怖いものなしの状態でした。 ところが東京マラソン後、日課になっている10kmジョグの最中に突然両足ふくらはぎが張って走れなくなりました。 痛いとかなんとかではなく物理的に走れない状態という感じで、途中で切り上げて歩いて帰るありさまでした。 疲れが溜まったのかな。 まあ、しばらくはおとなしくするしかないか。 そんな甘い考えでしたが、これが3年にもわたる長期故障の幕開けでした。 近所の医者と整骨院の見立ては肉離れでした。 2012年3月の板橋シティはそんな状態でとても走れず欠場しました。 実は、その春から通信制の大学で学び始める予定だったので、その記念にどうしても出たかった4月の長野マラソンには強行出場しました。 当然ながら自己ベストから1時間20分落ちというタイム、まあこの大会は完走することに意味があったのでそれで満足でしたが。 それから2ヶ月、8月末の北海道マラソンの練習として出た6月の喜多マラソンの時点でも脚は治らず、評判のいい整形外科や大病院のスポーツ外来をハシゴしたのですが、診断はシンスプリントだったりコンパートメント症だったり固定しません。 とにかく休めという点ではどの医者も一致していたので、数ヶ月走らない生活を送りましたが回復の兆しはなく、結局治療は諦めました。 大会復帰よりも、ジョグしか出来ない脚でもいいから走って汗を流す生活を取ったのです。 治すのにあと数ヶ月から1年、そこからリハビリ、そうなると元に戻るのに最短で一年半はかかります。 しかも治る保証はなく、再発したら振り出し。 走らなければ太るだけだし、それは絶対嫌だったのと、昨今のマラソンブームで走りにくさしか感じておらず、ちょっとうんざりしていたこともありました。 あと、通信生大学の勉強が忙しかったから本格的な練習が時間的に難しいとか色々重なったけど、とにかく大会復帰はあきらめました。 あきらめきれなかったけど。 故障から1年、徐々にですが脚は治ってきた感じがしていましたが、とても大会に向けての練習などおっかなくてやる気になれません。 そもそもレースは引退、いやもう一度走りたい、引退するなら引退レースをどこかで、でも練習しないでレースに出るのはつまらないと、ループしっぱなしでした。 故障から2年ほどした頃には毎日走れるまでに回復しましたが、10kmを60分から70分と決めて、それ以上の距離やスピードは一切しませんでした。 再発が怖かったのです。 このままジョギングは日課として、大会には一生出られないんだろうと思っていました。 転機は、一通のメールからでした。 そのメールは私のホームページを見て下さった埼玉のKさんからでした。 マラソン3年目のKさんは主食抜きダイエットをしながらランニングしていたら酷い肉離れで9ヶ月も走れなくなり、その経験から私に糖質制限を止めるようにアドバイスして下さったのです。 私は体型維持と糖尿予防のために数年前から糖質を控える生活をしています。 でもハードな糖質制限は止めていましたし、故障直後の検査でミネラル不足を疑った医者が血液検査をして正常だったため、私の故障は糖質制限によるものではないと思っていました。 この手のエビデンスがあるけども定説になりきっていないものは、論争の的になります。 そして、その論争は極端に走りすぎるきらいがあるように感じます。 糖質制限もその一つで、賛成派はまるで糖質制限が万能のような書き方をし、反対派は糖質不足は寝たきりになるなどと脅します。 私はどちらかというと糖質制限派でしたし、今でも現代人は糖質過剰で、それは毒だと思っています。 ただ、毎日のように走るランナーにとって糖質制限がいいか悪いかについてはデータが少なすぎるので保留という感じでしょうか。 ネットで糖質制限と運動について調べても、糖質制限自体の歴史がまだ浅いうえにランナーで糖質制限をしている人の数は少なく、そもそもランナーと言ってもレベルは様々です。 ヒステリックに糖質制限の害悪を叫ぶサイトもありますが、その人にとっては事実なのかもしれませんが、だから糖質制限とマラソンの組み合わせが悪いと断定するにはデータが足りないと思うのです。 この時点では故障との因果関係はないと信じており、そのようなメールを返信しました。 ところが、ここからが私の根性の曲がったところなのか、人生の面白いところなのか。 故障は糖質制限由来ではないと思いながらも、食生活を以前のように戻してみたくなりました。 この実験には太るリスクはありますが、太ったら痩せればいいだけ。 糖質を極度に削れば簡単に体型は引き締められるのは経験済みですから、あまり大きなリスクではありません。 もし故障が完治したら、それはそれで本当に喜ばしいこと。 さっそく近所のスーパーで米を買い(何年ぶりだろう)、家で米を炊く生活を再開してみました。ひょっとしたら、治るかな。 期待はしていないけれど。 糖質解禁後、気がついたら長野マラソンのエントリー日の前日になりました。 マラソンから気持ちが離れていたのでエントリー情報などは見ていませんでしたが、主催者から届いたハガキがたまたま目に入ったのです。 ここ数年、長野のエントリー日は大学の授業が入っていて物理的にエントリーできませんでした。 でもこの年はエントリー日と授業が重ならなかったことと、ひょっとして糖質制限解除で治るかもしれないという気持ち(あてにはしていなかったが)もあって前夜に突然エントリーしたくなり、久々にパソコンの前で受付開始を待つことにしました。 10月25日、意外なほどあっさりエントリーできました。 そうなるときちんと練習してから出ないと気が済まなくなります。 糖質制限解除の効果を判断するにはちょっと早過ぎるタイミングだし再発も怖いけど、でも10月31日、ついに復帰へ向けての練習再開を決意しました。 どこかへ仕舞い込んだ練習用ウエストバッグを探すのに苦労したのを覚えています。 結論ですが、現時点では糖質制限と今回の故障については因果関係ありだと思っています。 糖質制限を始めたのが2009年、厳格な糖質制限は数ヶ月しか続きませんでしたが、その後も主食はほとんど食べない(けどお菓子は食べる)生活でした。 まあ世間よりは糖質控えめではありましたが、そこそこ摂取していました。 でも油断するとミネラル不足で足が吊ることもよくありましたから、タンパク質の摂取比率が高かったことは間違いないでしょう。 サプリ(マルチミネラル)を摂取していても油断すると吊っていたので、これが身体からの悲鳴だったのかもしれません。 故障中、全く運動できない数ヶ月を除けば軽いジョグやプールでの運動は出来る限りしていました。 世間の人よりははるかに消費カロリーは高く、糖質摂取量は世間より相当少ない。 結果としてタンパク質の摂取量も割合も、相当多かったのでしょう。 タンパク質の分解には体内のミネラル分を使うそうです。 タンパク分解で多くのミネラルを消費した私の身体は恒常的なミネラル不足になり、その結果徐々に筋肉が壊れ、2012年の2月にふくらはぎが壊れたと考えればつじつまが合います。 今でも糖質制限は糖尿病患者の有効な食餌療法の一つだと思っていますし、糖質過多の現代人は糖質を押さえる努力をすべきだと思っています。 しかしながら、ランナーのように一般人よりも相当多く運動をする人にとっては、糖質制限によるデメリットの方が大きいと思うのです。 肉体改造のために短期的に糖質制限をするのならともかく、それを日常に取り込んでしまうのは危険だと思います。 少なくとも、現時点(2015.4)での私の結論です。 あとは自己責任でご判断ください。 【復帰に向けてのトレーニング】 復帰第一歩は、三連休初日の11月1日、場所は休日に走りにいっていた公園で20kmジョグです。 久々の20kmは長かったけど、ふくらはぎの痛みは出ずに完走。 30kmまで伸ばせそうでしたが、この日は無理せずに終了としました。 翌日は近所を10kmジョグ、その翌日も近所を10kmジョグ・・・のつもりが、脚が乗って22km走っていました。 3日間で52km、ゆっくりジョグでしかないけど故障で苦しんでいた時にはとても走りきれなかった距離です。 これで復活を確信しました。 完治はしていないかもしれないけど、明らかに今までと違う手応えでした。 次の土曜日、30kmジョグに挑戦しましたが余裕が残る状態でした。 無理すればもっと距離を伸ばせましたが、寒いし小雨もぱらつくし頭痛もしてきたので、無理せず30kmで終了。 さすがに疲れたのか風邪をひきましたが、長距離を踏める脚が残っていることを確認できたのは収穫でした。 翌日に17km、その翌日13km、3日で60kmを走ったら、さすがに脚が重くなっていました。 その翌週に、もう一度30kmジョグをしましたが、両アキレスが重くなりながらもが完走。 想像以上に順調なので板橋シティにもエントリーをして、板橋からリスタートすることに決めました。 11月22日、3連休初日に42km走をしてみました。 32kmから脚が重くなり39kmで立ち止まって飴を補給しながら、4時間29分で完走。 このタイムは練習での42km走としてはたぶんワーストですけど、それでも42kmを走れたことで距離に対する不安感は一掃できました。 ようやく、ようやく、本当に脚が治ったと感じられました。 ただ、ここまではペースがジョグ程度なのでスピードに対する不安感は残っていましたが。 11月末からは距離を追うことはひとまずやめて、ビルドアップっぽく走るなどスピード練習を開始しました。 2kmを10分は切れなかったが、10分15秒までいけたました。 ここまで、キロ6分すら切れないペースでしたから、ようやくランナーっぽくなってきました。 12月には2kmを9分24秒、1月には9分切りと順調だったのですが・・・ スピード練習は結構な負担だったらしく風邪をひいてしまい、それが治らないうちにインフルエンザで高熱が出て5日間寝込むハメになりました。 ようやく熱が引き1月末に練習再開をしたのですが、高熱と寝たきりで筋肉が壊れていたらしく、左ふくらはぎが固くなり再発かとヒヤッとしました。 走らなくても痛む状態でしたので、結局2月はまともな練習ができないうちに終わりました。 2月末、ようやくふくらはぎも気にならなくなったのでアリバイ的に2月の練習最後としてスピードをしに公園に行ったところ、スピードも乗らないけど気が乗らない。 ジョグとスピード練習とクールダウンで計20km走るつもりが、なんだか走るのが嫌になって16kmという半端な距離で帰ってしまいました。 自己ベストを更新できないならレースに出る理由がない、というのが私の本音です。 どう頑張っても自己ベスト更新は無理、それどころか練習での42km走以下のタイムしか出せないかもしれないのに、大会に出る意味があるのだろうか。 タイムを追い続け、限界の先の景色を見るために走り続けるのが私流のマラソンの楽しみ方なので、完走して満足する心境にはなれないのです。 故障中に何度も頭の中を巡り続け、なんとか蓋をして押さえつけたその気持ちが、また頭をもたげてきました。 まいったな。 3月に入ってなんとか気持ちを立て直して、というか、もう時間がないのでスタートラインに立つことだけを考えるようにしました。 初旬に30kmジョグをしましたが、25kmからは脚が重く感じる状態でした。 これ以降は軽いジョグしかせず、本番を向かえることにしました。 レース直前、3年ぶりのレースですから念のため本番の服装でジョグしてみました。 ロングタイツに長袖シャツに帽子、練習でタイツを履くことはないのでタイツ姿で近所を走るのは恥ずかしかった。 でも、なにしろ3年ぶりですから、ウエアが痛んでいたり違和感があったりしたら大変です。 幸いウエアは問題なかったのですが、大問題だったのがシューズ。 復帰を決めた時に、それまでのレースシューズのイダテンGRの後継であるイダテンダイナ2を買ったのですが、いつもの26.5cmでは大きい気がして26cmを買いました。 ところが、それではキツかったのです。 26.5cmのイダテンGRと比べたところ、GRはもともと私の足ではつま先のゆとりは大きいけど横方向はちょうどいい形で、それをつま先の空き具合優先でサイズダウンしたもんだから小さすぎてキツいのです。 せっかくの復帰戦、もう買って4年経っているGRに登場させるのは不安ですし、ダイナ2はもっと不安。 結局、直前になって久しぶりにゲルフェザー(グライド2)を買ってしまいました。 結果的にはなかなかいいシューズでしたが、本番直前に買うようなドタバタはよろしくありませんね。 レース復帰を決意した後、一番親しくしている叔母が脳の病気で倒れました。 一時は命も危うい状態で、その後無事手術は終わったものの、意識がどれだけ戻るのか、麻痺はどうか、我が身以上に心配していました。 幸い一命は取り止め意識も徐々に戻り、リハビリ病院に転院できました。 大会前日にお見舞に行った時にはリハビリ病院からの退院日も決まり、ゆっくりながらも自力で歩けるまでに回復していました。 この数ヶ月、気が気ではなかったけど、これでひとまずは安心しました。 叔母は安心ですが、レース直前になって冷静に考えると私の脚が心配になってきました。 ジョグのペースなどから冷静に考えるとサブフォーも危ういかも。 走った結果、タイムがズタズタだったらまた大会から気持ちが遠ざかるかもしれない。 でもまあそれはそれでしかたがないこと。 それが現実なら受け入れるしかありません。 |
【大会の様子】 歳の割に早起きが苦手なのですが寝坊せず5時に起きられ、出るものも出て(重要)、6時過ぎに出発しました。 6時43分浮間舟渡着の埼京線に乗りましたが、駅が混んでいるようなら戸田公園から歩くつもりでした。 さすがに早いせいかホームの混雑はさほどではなかったけど、新宿側の階段から出た方が空いているようです。 もし出遅れた場合は迷わず戸田公園から歩きましょう。 場所が分かりにくいけどタイムロスが少ないのです(浮間舟渡だと駅から会場までも相当混む)。 ランナーの列にくっついてぞろぞろ歩きましたが、いつのまにか駅からのシャトルバスも復活したようです。 (昔はあったが、その後廃止され、また復活したようです) 会場に着き、久々の大会風景を見下ろします。 特に緊張はなく、平常心でした。 オプションの帽子と参加賞のタオルをもらってすぐ荷物を預けて、階段に陣取ります。 スタートラインやトイレとの距離を考えて、移動しやすい場所に陣取りました。 このあたりのノウハウは10年を越えるキャリアと自画自賛。 荷物は会場入りする前に2つに分けておき、一つは預ける荷物で財布や携帯などが入っています。 もう一つは盗まれてもいいような飲み物やスタートまでの保温着などで、これはそこら辺にほっておきます。 盗まれて困るものはとっとと主催者に預けておけば、荷物待ち渋滞に巻き込まれないで済むのです。 アップしてはトイレに行き、ストレッチしてはまた行き。 1時間前に行ったのが最後で、40分前にもう一度念のため行ってみたら大行列、とてもスタートには間に合わない列の長さでした。 参加者の割にトイレが少な過ぎる気がします。 30分前になりコースでのアップが禁止となったので、Gブロックの先頭に陣取りました。 いよいよ3年ぶりのマラソン大会、ブラスバンドの生演奏のファンファーレ(遠いのでマイク越しだが)を聞いて、実感が湧いてきました。 俺は、戻ってきたんだ。 ずっと陸連登録でしたし、タイム順でも3時間半を切っていたのでそれなりに前からのスタートでしたが、陸連登録もなく持ちタイムも時効で消えた今は久々の後方スタートです。 号砲を聞いて、ゆっくり歩き出します。 スタートラインを越えてもペースが遅い感じはしませんが、これは自分が遅いからです。 昔だったらペースの遅さにいらだっていたのでしょう。 足に任せながら30kmまでは無理しないことを心がける程度で、要するに作戦は特に考えず走りました。 天気はずーっと晴れていて、スタート直後に手袋を外しました。 薄手の長袖でしたが、腕は終始まくっていました。 結果論で言えば半袖とボックスランパンで充分でしたが、なにしろ3年ぶりの復帰戦ですから失速の可能性もあるし安全第一です。 スタートはGブロックでしたが、後ろのゼッケンに抜かれまくります。 申告タイム間違ったのかな・・・。 ちなみに流れをリードできるようになったのは30km以降で、そこまではゆっくりですが流れから落ちて行く感じでした。 キロ5分30秒で走っていましたが、6km地点で6分近くにまで落ちて焦りました。 どうもジョグペースから抜けない。 ランナーの足になれないのです。 年に1、2回ですが、練習で42kmを走ることがありますが、練習でサブフォーをしたこともあります。 いくら故障明けとはいえ、レースに出てそれ以下では意味がない気がするのです。 自己ベストの3時間25分はともかく、ギリギリでサブフォー程度ならもうレースに出ても意味がない、練習に毛がはえた走りしかできないなら、もうレースに出ても意味がないと思っていました。 単に完走だけで喜ぶことはできない。 まあ、冷静に考えたら完走できる脚が戻っただけで喜ぶべきなのですが、人は我がままなものです。 給水は序盤で2回パスしました。 ペースが乱れるのを嫌ったのと、いつも通りに腰に水を持っているので、そんなに焦らないでいいからです。 ちなみに持って走った塩飴は4つ完食、ゼリーは出番なしでした。 この大会は給食がしっかりしているし、私のようなランナーでも丸腰で走れます。 (でも水やら飴やら持って走っていますが) スポーツドリンクの看板があっても水だけという給水が序盤にありましたが、手違いなのか私の勘違いなのか。 給食はアンパン、チョコパンを頂きましたし、おにぎりも一ついただきました(塩をきかせて欲しいなぁ)。 名物のシャーベットはパスしましたが、往路の「待ってるわよー」、復路の「お帰りなさい」というおばちゃんエイド軍団の声援には勇気づけられました。 シャーベットを食べないのはもったいない気もするけど、食べないで通過するレース展開の方が私的には成功なのです。 1秒を争う状態のときはパスして、あきらめムードの時は食べるからです。 確実に給水を取るために立ち止まったことはありますが、それ以外は歩かず走りきれました。 まあ、マラソンは歩いた時点で失敗だと思っているので、むしろ当然ですが。 以前は給水でも立ち止まらないようにすべきだと思っていたのですが、復帰戦だし安全第一で立ち止まって水を受け取ることが何回かありました。 沿道は昔よりも確実にさびしい。 かつてはマラソンと同時に国交省がイベントを開いていたのですが、それが無くなったのが大きな理由でしょう。 あと東京マラソンなどの方に関心が向いたとか、応援ではなく走る方に回ったとか、いくつか理由があるかも。 でも少ないながらも走友会などが熱心な応援をしてくれたのが印象的でした。 コースは狭いところや工事で蛇行したところが何カ所かありましたが、それが気にならないのは遅いからでしょう。 昔だったらイラついていたはず。 中間点でギリギリサブフォーのペースであることに気がつき、こりゃもっと頑張らねばとロングスパートしたものの、エンジンがかからない。 これが3年のブランクなのでしょう。 30km地点まできて、残り12kmなら身体も脚も持つだろうと思い、もう一度スパートをかけました。 この大会では初めて給水の水を頭からかぶって冷やしながら、必死に走りました。 ペースは徐々に上がり、ベストラップは42km地点という尻上がりぶりでしたが、キロ5分は切れず、自己ベスト時の平均ペースより10秒は遅い状態でした。 でも、これが現実だし、これが限界。 必死に駆け込んだゴールは3時間52分(自己計測ネットタイム)、実はもっと良いタイムが奇跡的に出るかもという甘すぎる期待もあったのですが、まあこれが現実です。 冷静に考えて、4時間は楽に切れたのでそこそこかな、と思っています。 いや、それよりも42kmをそこそこのペースで走っても壊れなかったふくらはぎに感謝しなければいけませんね。 陣地に戻って、暖かな日射しの中でゆっくり着替えて、持って行ったバナナを食べながら余韻を楽しみました。 なんだか腹一杯で、名物の完走ラーメンが出ているかどうかも見なかった。 痛む脚を引きずって会場を後にし、ランナーたちの流れについて歩いたら蓮根駅に到着してしまいました・・・。 まあ、いいや。ここからでも帰れるし。 気温は20度まで上がったようです。 曇ってくれたらもっと走りやすかったとは思いますが、私の現状では曇ったところでタイムはたいして変わらないでしょう。 今の実力は発揮できたと思います。 走りながら考えたのが、これからのマラソン大会との付き合い方です。 自己ベストを狙うことはこの脚ではもうできないでしょうから、今までの価値観では大会に出る理由はなくなります。 かといって、大会に出ないのも寂しいというか、もったいないというか。 となると、これからは健康診断的な意味で大会参加するしかないのかな。 血圧や血糖値を測るような位置付けでタイムを計り、体調管理に役立てる。 それならば出続ける意味があると自分に言い聞かせられる。 でも、家に帰って久々の全身筋肉痛と黒くなった爪を見て、考えが変わりました。 たぶん無理だろうけど、もう年齢的に厳しいだろうけど、もう一度自己ベスト更新を狙おう。 3時間23分台を目指して別大カテゴリー3完走という、故障前に見た夢をもう一度追いかけよう。 2003年のこの大会が私の初フルマラソンでした。 6時間近くかかってたどり着いたゴールに感動はなく、惨敗感だけが残りました。 それが私のランナーとしての原点になったのです。 2003年、この大会のゴールが原点になった。 2015年、この大会のゴールから出直します。 もう一度、叶わないかもしれないけど夢を追いかけてみます。 さあ、リスタートだ。 |
【写真と記録】 タイムは(自己計測ネットタイム)です 1km 計測漏れ 2km 11:00(キロ5:30) 3km 5:28 4km 5:32 5km 5:39 27:40 0:27:40 6km 5:50 7km 5:14 8km 5:34 9km 5:30 10km 5:34 27:45 0:55:25 11km 5:29 12km 5:33 13km 5:53 14km 5:43 15km 5:46 28:28 1:23:53 16km 5:40 17km 5:37 18km 5:36 19km 5:34 20km 5:32 28:01 1:51:54 21km 5:38 22km 5:40 23km 5:43 24km 5:35 25km 5:27 28:05 2:19:59 26km 5:34 27km 5:33 28km 5:41 29km 5:22 30km 5:34 27:46 2:47:45 31km 5:24 32km 5:20 33km 5:25 34km 5:20 35km 5:17 26:49 3:14:34 36km 5:20 37km 5:22 38km 5:21 39km 5:23 40km 5:17 26:45 3:41:19 41km 5:06 42km 5:03 GOAL 3:52:20 HALF 01:57:59 前半 1:57:59(キロ5:35) 後半 1:54:21(キロ5:25) 会場に向かう土手より。 3年ぶりのマラソン大会の光景、本大会に限れば実に6年ぶりです ゲートとテントがお出迎え テント群 トイレの列。 ランナーの数から言って足りなさすぎです まだランナーはまばらです 陣地付近の様子 スタッフジャンバーを着てスタート位置のプラカード隊が出発しました。 たくさんのスタッフ達に感謝。 本日のいでたち。 ブレーカーのズボンはスタート前に脱ぎます。 左足の青いのはキーポケット。 タグは板状、昔のRCチップの方が気分が出ると思うのはベテランランナーになったってことかな。 シューズはげるフェザーグライド2、なかなかいい感じでしたが、3時間半切りを狙うにはちょっとたるいかな。 フィニッシュ後です。 スタート前整列ラインのバリケードが取り除かれています(手前の方)。 黄緑のゲートがフィニッシュライン。 いい天気でした。ちょっと良すぎたかな。 参加賞のタオル、申し込み時別途500円払って買った帽子 無事、復帰戦が終わりました。 |