はじマラ@かめ





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<はじめに>
北海道マラソンの存在は結構前から知ってはいたものの、一部のエリートランナー達の大会で自分には無縁の大会だとずっと思っていた。
ところが、マラソン大会に出始めて2年目にハーフで1時間50分を切れるようになってきた時、クリールに「今年から出場制限が一部緩和、男子はハーフ1時間50分切りで出場可」と書かれていた。
あ、俺でも出られるんだ、と思ったけど、この時点でフルのベストタイムが4時間半ではとても出る気になるはずもなく、相変わらず自分とは一生無縁の大会だと思っていた。
北海道とはいえ真夏の8月に開催、しかも制限時間は4時間と厳しく、おまけに給食はなし、給水はだいたい5kmごとと、一般的な市民マラソンより厳しい。
(厳密に言えば制限時間は40km関門で3時間45分。これをクリアできればゴールで4時間を多少超えていてもフィニッシュできる。
また、給水は5kmごとの他、スポンジエイドでの給水もあった)

北海道マラソンは夏場に開催されることや、一般ランナーもトップアスリートと一緒に走れること、いわゆる市民マラソンの中では制限時間・参加資格が厳しいことなど、ちょっと異色の大会で、そのハードルの高さが人気のひとつなのかもしれない。
参加資格はフルで4時間未満、ハーフなら男子1時間50分、女子2時間未満。
(10kmの資格は男子31分、女子38分未満、10kmだけは公認大会の記録のみ有効)

この大会は一般的な市民マラソンとはかなり雰囲気が異なる。
普通はナンバーカード引換券と書かれたハガキが来るけど、この大会は出場承認書なる書類が届く。
まあ、ただの薄っぺらい紙だけど、このあたりから普通の大会とは微妙に違う雰囲気が醸し出されているし、出場承認書にはドーピング検査をすること(抜き打ちで、当たり前だけど全員ではない)や、シャツの所属団体名などの大きさ制限など見なれない注意事項が書かれており、なんだか本格的な匂いがプンプン。
さらに受付の時もらうプログラムには、その他の注意事項がけっこう細かく書いてあり、楽しんで走りたいランナーは、けっこう嫌かも。
ちなみに「助力は禁止」なので私設エイドは当然のごとく禁止。
この大会は給食がないので、私のような4時間ランナーは自分で携帯食を持って走るしかないけど、そもそもこの大会を走るランナーは水分補給だけで走りきれないといけない、というか走る資格がない、そんな気がする。
私のように水と携帯食を持って走るのは、この大会では邪道なのかもしれないけど、まあそこは「助力」ではなく自力だからルール的にも大会の主旨としてもギリギリセーフって解釈にしておきましょう。
<エントリーまでの日々>
2004年11月の渡良瀬湧水池フルで、あっさりとサブフォーを達成した。
サブフォーといってもネットタイムで4時間を切っただけで、グロスは4時間1分だったけど、自己ベストを一気に30分短縮できたのは大きな自信になった。
現金なもので、4時間を切ったとたん北海道マラソンが脳裏に浮かぶようになってきた。
まだこの時点でうっすらとした憧れ程度でしかなかったが、1月の勝田全国マラソンで3時間50分を切った時、この大会が急に現実のものになってきた。
無縁の大会が急に憧れの大会になった。
12月にNAHAマラソンに参加したことで飛行機アレルギーもかなり薄れてきたし、冷静に考えて見たら、北海道は沖縄よりかなり近い。
遠く、暑く、厳しい。そんなイメージだった道マラが、少しだけ自分に近づいてきたような気がした。

それからは、とにかく道マラを常に意識しながらの練習・大会になった。
道マラを目標にすると言える程の自信はなかったので、あくまでも意識する程度ではあったし、まだまだ遥か彼方の存在でしかなかったが。

皮肉なことに、3時間50分切り以降、ズルズルとタイムが落ち続けた。
2月の青梅30kmではなんとか歩かず完走したものの今までで一番辛い走りになり、自信喪失。
3月の荒川市民フル、4月のかすみがうらフルともに大幅に歩きさらに自信喪失。
この時期、月間走行距離は200km程度と今までと同じ程度は走っていたが、10km程度のジョグばかりを続けていて、圧倒的に長距離走が不足していた。
薄々それに気がついてはいたけど、やはり長距離を走るのは時間も体も負担が大きいから、無意識のうちにLSDから逃げていた。
でも、さすがに1月に出したベストより1時間近く遅くなると、嫌でも現実を見つめるしかない。
気持ちを切替えて走り込みを始めたのが5月。
道マラに間に合うか、もう遅いのか、不安で一杯だったけど、まずは走らないと何も変わらない。
こんな状態だったので、5月の北海道マラソンのエントリー開始まで、出るかどうか悩みに悩んだ。
真夏のマラソンは正直怖いし、関門もキツい。
定員制の大会だから、もしエントリーだけして出なかったら足切りされたランナーに申し訳ない。
今年はまだ時期尚早じゃないのか。たった4ヶ月の準備で間に合うのか。俺に出る資格が本当にあるのか。
そもそも3時間50分を切った勝田全国マラソンでもゴールした後に両腕がしびれていたじゃないか。条件のいい冬場の大会でそんな調子なのに、真夏のフルに出る資格はあるのか。

エントリーして出ないのは、お金ももったいないけど、それ以上に妙な抵抗がある。主催者に失礼というか。考え過ぎだろうけど。
「とりあえずエントリーする」というのは、なんだか卑怯な気がするし、定員制だから足切りされる人がいる可能性なども考えて、最後まで迷いに迷った。
結局、悩んだ末に、後で後悔するよりも足切りされたランナーに泣いてもらおう、と考えて受付初日の午前中にエントリーした。
決めたら行動は早い。とっとと申し込まないと気が済まない。
※今年の定員は5500人、最終エントリー数は定員以下で幸い足切りはいなかったようです。
 また、エントリーは北海道マラソンのホームページからのみ受け付けています。
 (ランネットやスポーツエントリーではないので注意)
 エントリー時はクレジットカードと参加資格を得た大会の正式名や正式タイムが必要ですので、完走証を用意しておきましょう。
 ホームページで成績を公開している大会もありますので完走証が見つからない場合は検索してみましょう。
<練習方針>
5月から走り込みを始めた。
月間走行距離は250km前後と、私にしてはそこそこの距離をキープしてはいたものの、1回の距離は長くても20km程度、最後に30kmを走ったのは昨年の10月。
とにかく、月間の走行距離や回数はどうでもいい。そんなのは、後から付いてくる。
休みの日にしかできないけど、とにかくLSDを心がけた。
それから、3月・4月とフルの大会で連続して大幅に歩いたので、自信を取り戻す為と暑さに慣れる為に6月の喜多(北)マラソン・フルにエントリーした。
あとは走りこむだけ。

5月は陽気も良く、けっこう順調に走れた。
しかも、EKIDENカーニバルに顔を出した時に仲間からフォームや給水・給食のアドバイスを貰ったのが効いて、かなり良い感じで終えることが出来た。
そのアドバイスを基に、体脂肪をエネルギーに変える体にするための朝食前練習も習慣にした。(といっても休日しかできない。仕事の日に朝練するほどの根性はない)
空腹で走るのは最初は怖い気もしたけど、慣れてくればさして負担にはならなくなったし、朝練習が終わってから食べる朝ごはんの旨いことうまいこと。

じわじわと暑くなってきた6月5日、喜多マラソン(フル)に、倒れず・歩かず・諦めずをテーマとして、タイムは遅くても良いから歩かずに完走するつもりで参加したものの、完走どころか35km地点でリタイヤ。
この大会で自信を付けるどころか、生まれて初めてのリタイヤという結果に終わってしまった。
北海道マラソンにエントリーしたことは、まだ誰にも言っていなくて、この大会が終わったら多少は自信も戻るだろうから、そうしたら言おう、と思っていたのに、リタイヤ・・・。
結局、休みを取る関係上仕事関係者には言ったものの、その他の人には言えないまま大会を迎えることになった。
今考えると、まだこの時点では体が暑さに慣れていなかっただけで、完走できなかったことを悲観する必要はなかったような気がするけど、この時は大いにヘコんだ。
「まだ俺には道マラは無理なんじゃないか」本気でそう思った。
ただ、なんとしてでも完走したい、という気持ちには一切ブレはなかったので、最後まであきらめずに努力することはできた。


<暑さ対策・給食対策>
暑さ対策が、北海道マラソンの最大のポイントだろう。 地図で見る限りコースは走りやすそうで、夏でなければ好記録を出せそうなコースに見えるが、この大会は8月。
北海道とはいえ、過去には30℃になったこともある大会。
暑さに弱い私が完走するためには、暑さに強くなるしかない。
暑熱順化というのがキーワードになるようで、体が暑さに慣れていないと汗が出にくい上に、塩分を多量に含んだ悪い汗をかくので脱水だけでなく塩分不足にもなりやすい(らしい)。
暑さに体を慣らせば、汗が出やすくなって気化熱で体温が下がり、さらにその汗は塩分が少ない良い汗が出る(みたい)。
日中は暑さが厳しすぎるので、休日は空腹時トレーニングをかねて朝から水と塩だけで走りました。
暑さ対策なら日中に走るべきなんだろうけど正直言ってそれをするだけの体力がない。
結局、朝8時位から走り出すようにして、そうなると終わるのは昼近く、走りながらじわじわと気温が上がっていくから初心者の耐暑訓練としては悪くはない。
本番の北海道マラソンは12時10分スタート、1日の中で一番暑い時間帯に走るんだけど、まあ本州の真夏の日中よりは涼しいだろうし、日中ランはチャンスがあったらやろうと思っているうちに結局やらなかった。
これは来年の課題の1つである。

もう1つの難題は、給食がなく給水もほぼ5kmごとと間隔が長目であること。
(注:実際は20km以降はもっと小刻みにあったし、スポンジポイントで給水がある場所もあった)
本格派ランナーはともかく、私のように制限時間ギリギリで完走できるかどうか、というレベルのランナーにとっては、これはかなりキツい条件。
3時間を切るレベルのランナーと、4時間切れるかどうかのランナーでは、このあたりの体力が大きく違う。
まあ、そうは言っても無いものは無いんだから、小型のボトルポーチ付きウエストバッグを買って、水と塩とパワージェルという小さなゼリーを持って走る作戦で挑むことにした。
また、普段の練習でもスポーツドリンクは飲まない、給食はしない、といった方針に転換して、脂肪をエネルギーにできる体作りを意識した。
まあ、そう簡単に体は変わらないでしょうけど、今までは長距離走ではおにぎりを食べながら走っていたんだから今までよりは多少はマシになっている・・・はず。
<練習内容>
5月になってから走り込みを開始して、まずはLSDを増やすことだけを心がけた。
そのためには意識してメリハリをつけて、今までのように漫然と日々10kmのジョグを楽しむのはやめて、意識的に休息を入れるかわりに休日はLSDで距離を踏むといった変化をつけた。
月間走行距離を増やすのではなく長距離走を増やすことに重点を置いてメリハリを付けるように心掛けた。
どの距離から長距離と言えるのか微妙かもしれないけど、いつもは10kmまでしか走らない私にとっては20kmは長距離走の部類になる。
その20km以上を走れた回数は、5月が6回(34km,27km,26km,34km,26km,30km)、 6月が6回(35km,22km,22km,32km,20km,20km、ただし大会リタイヤ35km含む)7月は4回(24km,30km,20km,20km)。
自分的には頑張ったつもりだけど、こうやって見直すとまだまだ努力の余地がありそうな気がする。
でも、まずは走りこむという計画は結果論かもしれないが悪くはなかった。
走りやすい5月に距離を伸ばし、6月からは気温と相談しながら耐暑訓練とスピード練習も織り交ぜつつ走り、7月は欠点の補完を意識して、8月は総まとめ。
できれば4月から準備すべきだった、いや、一年中意識しつつ鍛えるべきなのかもしれないけど、なかなか・・・。
また、仲間からのアドバイスをもとにスピード練習もしたけど、回数的にも質も中途半端だった気がする(これも来年の課題の一つ)。


<覚悟>
ちょっと大げさに聞こえるかもしれないけど、今年は道マラに懸けていた。
そのために、少しでも道マラの妨げになりそうなものは全て排除することにした。
まず、毎年出ていたEKIDENやリレーマラソンは参加中止。
団体競技も楽しいんだけど、意外と精神的な負担が大きい。
それが楽しさにつながるんだけど、今年は集中する意味で全ての団体競技は不参加に決めた。
道マラに集中するため、ごく些細なことでもプレッシャーになることは全て排除した。
たとえば、せっかく北海道まで行くんだからお土産選びも楽しみのうちだけど、今回は 事前にネットで注文しておき、現地で買うのは小物程度にした。
海産物なんかは自分の目で見て選んだほうがいいんだろうけど、とにかく大会に集中する。
いつもならゴールタイム配信のGTmailsをメーリングリストに登録するんだけど、 今回はよけいなプレッシャーを避けるため、未登録とした。とにかく集中。
ただ、GTmailsは最後まで迷い、「迷ったときはやっておく」主義なんだけど、今回は気になったら中止の精神で行くことにした。
現地での観光もする気はなかったので飛行機の時間も一番体が楽な昼の便にしたし、ホテルも利便性最優先で札幌駅前にして、結果的にすすきのから離れた場所になった。
(そもそも、今回はすすきので夜遊びするつもりはなかった)
大会前夜の晩飯も風邪気味で外出は控えてホテルで一人コンビニ飯と、非常に味気ないけど、とにかく全ては道マラのため。遊びにきたんじゃない。

とにかく、完走する、という強い意志だけは持ち続けた。
自信は全くなかったけど、とにかく思い続けた。
かなりおバカな話だけど、ジョグをしながら道マラのイメージトレーニングもやった。
完走した自分をイメージして走ったけど、マヌケなことに最初の頃は真駒内競技場に戻ってくるもんだと勘違いして、競技場にゴールした絵を思い浮かべながら走っていたけど、よく調べたらゴールは中島公園なのね・・・。
イメージトレーニング、やり直しだ・・・。

イメージトレーニングの一環として、北海道マラソンのホームページで公開されていた昨年のゴールシーンの動画も見たんだけど、適当なゼッケン番号を入力して見ていたら、ゴールラインでガッツポーズした後、崩れるようにヘタりこんで、そのまま動かなくなり担架で運ばれていったランナーを見ちゃった・・・。
うわぁ、縁起悪い・・・。
<作戦>
遅足ながら、いや、遅いからこそフルマラソンは長い時間の戦いになる。
いつもなら、なんらかの作戦を考えるのだけど、今回は作戦を考える余地すらない。
道マラは関門が多い。
5km毎の関門に加えて、今年は30km台にも2つの関門が増えて、合計で10箇所。
キロ5分36秒で走り続けなければ、どこかで捕まる。
フルを走るというよりは、5km走を繰り返して関門を1つずつクリアするしか 走りようがない。
こんな言い方はマズいけど、5kmごとに関門があるってことは、そこには係員がいるだろうし5kmごとにリタイヤできるんだから、無理でも無茶でも5km先の関門を目指す走りを繰り返してゴールをたぐり寄せるしかない。
3時間45分の40km関門をクリアすれば、あと2km強は多少歩いてもゴールは待っていてくれる。
参加資格は4時間未満だけど、大会自体は4時間を超えてもかまわないらしい。
もちろん完走するために出るんだから40km関門がゴールだとは思わないが、なんがなんでも40kmにたどり着かねば完走できない。


<出発から直前まで>
直前になって腰を痛めたり風邪を引いたり、相変わらずプレッシャーに弱いのが情けない。
結局、風邪は治りきらず強力な鼻水止めを飲みながら北海道へ向かった。
ホテルに荷物を置いて、さっそく中島公園へ向かう。
中島公園ではゴールを作っていたりコース脇のテープを張っていたり、準備も着々と進んでいる。
ここがゴールかぁ。
しみじみとゴールを見てから受付を探すが、見あたらない。
おかしいなぁと思ったら思い出した。
受付は公園内じゃなくてホテルだ。
あわててホテルのありそうな方向に戻る。まあ、慌てる必要はない程時間に余裕があるんだけど、想定外の出来事があるとちょっと焦る。
なんとなく人のいる方向に行ったらホテルを発見、地下で無事受付をすませる。
受取ったものは瓶入り飲料C1000タケダ1本、ダイアリー(9月開始の道マラ専用)、プログラム(過去の大会の解説などもあり豪華)、専用荷物入れ袋(リュックにもなる)と荷物袋用ナンバーステッカー、ナンバーカード2枚、RCチップ、首から下げる厚紙製IDカード。
テントでの受付に慣れているので、ホテルで受け付けってのがなんか嬉しい。
受付風景などを撮影して中島公園をぶらぶらし、16:30にホテルの3階の開会式会場へ向かう。
ここでIDカードの登場。開会式参加者はIDカードをもっていないといけない。
結局IDカードはこの時しか使わなかったけど、なんだか気分だけは本格派。
開会式会場は中央から前の席は招待選手と関係者、後ろが一般ランナーの席になっている。
北海道文化放送の男女アナウンサーが司会をつとめ17時に開始。
まず、招待選手たちが入場、私は中央通路から2番目に座っていたけど、来年は中央通路隣にしよう。(写真を撮りやすいし、ここなら退場する選手と握手もできる)
千葉ちゃんは綺麗にお化粧して、左右に軽く会釈をしながらの入場、貫禄と可愛さが同居していて他の招待選手とは格が違う感じがした。
まずはお偉いさんたちから、ありきたりの挨拶。
ところが最後に挨拶したタケダ(メインスポンサー)の武田会長は桂小枝に似た風貌もあって、なかなかおもしろい挨拶だった。
たぶん主催者もそれを知っててこの人の挨拶を最後にしたんだろうなぁ。
その挨拶は、先日の世界陸上の放送を見ていたら「テレビからどこかで聞いた蛇遣いの笛みたいな声がしてきて、よう聞いたら解説の千葉ちゃんの声やった」とか、短足の日本人男子も世陸でようがんばった、胴長がよかったのかも、など、なかなか笑わせてくれた。
続いて招待選手全員を1人づつ紹介し、最後に千葉ちゃんと男子選手で選手宣誓(あの声で宣誓というのがなかなか)。
混乱をさける意味だろうが招待選手が先に退場し、残った一般ランナーにはドクターから注意があった。
まあ、ありきたりな注意だけど、明日の予報は28℃、コースレイアウト上、レースの後半は西日が差しっぱなしになるそうだ。
ホテルに戻りテレビを見たら、明日の予報は曇りのち雨、26℃。
おお、それならOKなんだけど。
この大会、暑いのがあたりまえ、天気に頼るのは邪道なので天気は気にしないつもりでいたが、やはり気になる。
頑張って暑さ対策をしてきたつもりだけど、やっぱり人間は弱いもんだ。
<レース当日>
気になる天気は・・・テレビによると27℃。午後の降水確率20%。やっぱり涼しくはない。
地下鉄でスタート場所の真駒内競技場へ向かう。
会場の真駒内競技場では、特に受付をする必要はなかった。
同日開催のタケダファミリーマラソンが行われる中、競技場外通路の床にマットが敷いてあったのでそこを借りて準備(といってもサポーター付けて日焼止めを塗るだけ)。
隣にいた人のバッグにこの大会のプラスチックタグが数個ついてた。
ネット上でも見た事のあるタグだけど、どうやら参加賞らしい(メモリアルって書いてあった)。
(このタグ、数年前までは参加賞だったらしい。
 今はタグの代わりにダイアリーになったけど、このタグが後で弱気のささやきの元になる)

おにぎり1ことポカリで栄養補給をして、荷物をトラックに積み込んで、準備完了。(フィニッシュの中島公園までトラック移動)
軽くアップしてから競技場内へ入ったが、センサーマットの敷いてある入り口から入るのが珍しい。
これが点呼ということだそうで、ここで出走者をカウントしているようだ。
競技場でも軽くアップし、混雑しているトイレで最後の一絞り。
気温は28℃から28.5℃というアナウンスがあった。
気合いを入れる為、秘密のおまじないをしてからトラック内側の自分のゼッケン位置に移動。
俺と1番違いのランナーが隣にいた。
話しかけようかと思ったけど、遠慮しておいた。
雲から太陽が出ると痛いほどの日差しが射す。
みんな芝生に座っていたけど、座るのがなんだか怖い気がして一人で立ち尽くしていた。
12時には気温30℃のアナウンス。スタートまで、あと10分。

スタート5分前、太陽が雲に隠れて28℃のアナウンスがあった。
今日は雲が多い。
天気に頼ってはいけない、と思いながらも、雲よ出ろ、風よ吹け、雨よ降れと祈ってしまう。
そして、いよいよ12:10、スタート。
号砲と同時に花火が打ち上がる。
トラックの外側が女子なので、女性は持ちタイムが遅くてもかなり前方からスタートできるが、遅い男は不利。
スタートロスは40秒から1分ぐらいだったようだけど、混雑してるしマットもないのでスタートラインがどこか分らなかった。
いつもならネットタイムしか気にしないけど、この大会は関門が厳しいので、腕時計も号砲と同時にスタートさせた。
スタートラインを通過して競技場から外に出ても、コースが狭くて何度も立ち止まった。
「3分は損したな」という声が聞こえた。それは大袈裟にしても、かなりロスしたのは事実だ。
タイム順に並んでのスタートなので、周囲のランナー達は私と同じく4時間をちょっとだけ切ったレベルばかりなので、このロスは痛い。
1kmまで8分もかかった。
スタートラインまでのロスを抜いてもキロ7分。
この大会はキロ5分36秒で走らないと、どこかの関門でアウトになるので、すでに2分以上の借金だ。
2kmあたりで見物に来たオバハンが沿道警備の警官に「この人たちはみんなビリなんでしょ?」とでっかい声で話していて、なんだかねぇ。
まあ、それはともかく、まったり走っていたら5キロ関門で確実にアウトになる。
いつもはスロースターターなんだけど、頑張ってペースを上げて走り、周囲のランナーをかなり抜いたけど、これは私の序盤戦では異例の展開だ。
4km地点で24分10秒、最初の関門まで5分を切っている。
ここでリタイヤしてなるものか、キロ5分を切る走りでスパートして、5km手前で係員の「関門閉鎖まであと1分」の声を聞く。
今までは関門のゆるい大会ばかりだったこともあって、こんなにせかされて走るのははじめて。
なんとか最初の関門を通過、関門の時計では40秒前ぐらいだったが手元の時計では29分8秒と関門アウトの時間。
あれ?、どっちの時計が正しいんだろ。
本当ならアウトなんだろうなぁ。
これってこのまま完走しても完走扱いにしてくれるのかな。
正式にはアウトかな。
このさき、ずーっと関門に追われるレースになるんだろうなぁ。
いろいろと不安になりながらも、走り続けるしかない。

3kmまでは登り、そこから15kmまでは下り、40kmからは登りのコースだけど、高低差は全く感じなかった。
部分的に折り返しになっている所にも坂があって、そこはキツかったけど、そこ以外は全く意識しないで走れた。

腕時計には40kmを3時間45分とセットしてあるので、1キロごとの距離表示ごとに設定タイムとの差を自動表示してくれる。
この機能は本当に助かった。
10km関門手前では、あと3分のコール。
さっきと比べると少しは時間的余裕が増えてきたが、ちょっとでも気を緩めるとアウトになる。
関門はなんとか通過したが、ここらで弱気の虫が囁きやがった。
「ちょっと足を緩めれば関門アウトで楽になれるよ。
 完走メダルを貰えなくても、参加賞のプラスチックタグをもらえればいいじゃん。
 自分からリタイヤするのは抵抗あるけど、関門アウトなら諦めもつくだろ」
いやいや、なんとしてでも完走するんだ、と思い直して走り続ける。
でも、足が持つかなぁ。

後で知ったけど、プラスチックタグが貰えたのは一昨年までで、今年からはダイアリーに変わったそうです。
もし、あの時、タグを貰えればいいという気持ちで足を緩めていたら、すんごい後悔していたでしょうね・・・。


給水は10kmから原則として5km間隔、スポンジポイントは7.5kmから5km間隔だが、12.5kmのスポンジポイントでも水が飲めたし、給水も20km過ぎからは5kmより細かい間隔で設置してあるし、 想像していたよりも水は豊富だった。
途中、自販機でジュースを買って飲んでいるランナーもいたが、私はウエストバッグに水1本、塩の錠剤、ゼリー(パワージェル)を入れて走ったが、水は最後まで残ったしゼリーも使わなかった。
ただ、塩は30kmすぎから意識的になめるようにした(なんとなく不安だったので)。
それと、ゴールしてからちょっと気分が悪くなりそうだったのでゼリーを少し口にした。
邪道かもしれないが後方ランナーのお守りとして、水・塩・ゼリーの3点セットはかなり効果がある(どっちかというと精神的に)。

15km関門で2分半、20キロで4分弱の貯金ができた。
ここらへんからは気分的にはかなり楽になってきたが、所詮トイレ休憩1回でパーになる程度の貯金なので余裕はない。
5キロ手前でのスパートが響いてきたらしく、太股前部が痛くなってきた。
単なる筋肉痛とはいえ、ボディーブローのようにじわじわと効いてくる痛みだ。
この大会で4時間ギリギリで走るランナーの楽しみの1つは、20kmすぎの折り返し区間だ。
4時間弱ペースのランナーは、ここでトップランナー達とすれ違える。
これが醍醐味なんだ、この大会の。(後方ランナー限定だけど)

やがて、折り返し部分にたどり着いた。
走路を中央分離帯近くに変え、対抗車線を見ながら走っていると、しばらくしてテレビの中継車が見えた。
黒人選手が先頭だ。
沿道から大きな拍手、我々ランナーからも拍手が巻き起こる。
しばらく走っていると2台目の中継車、きっと女子の先頭の中継だろう。
やっぱりそうだ、あ、千葉ちゃんだ。
サングラスしていて色白。
がんばれー、と声を掛け拍手してすれ違う。
本当に道マラを走っているんだなぁ、と実感できた瞬間だった。

30km付近から、そろそろトイレにいこうかどうしようか迷いながらの走りになった。
フルマラソンでは最低1回はトイレ休憩しないと持たないので、今回はトイレポイントが少なそうだったこともあって、腕時計にトイレの場所を書いて張り付けておいた。
残るトイレポイントは32.9kmと37.2kmの2個所だけど、30km台には5kmごとの他に2つの関門(5kmごとの関門よりゆるめの設定)があって、そこも少し気になる。
結局、その2つの関門は目立った目印もなく気づかないうちに過ぎ、トイレも迷いながらもゴールまで持たせることができた。
トイレに入って貯金を使い果たしてでもスピードアップすべきか、それとも我慢して走り続けた方が良いのか、本当に迷ったけど結果的には走り続けてよかった。

30km付近からだんだんキツくなってきて、貯金を取り崩してペースダウンする事を考えはじめたけど、あと1km、もう少しと粘りながら、なんとか貯金を使わず走ってきた。
しかし、35km付近から走りに余裕がなくなってきた。
35km地点で貯金は4分37秒。
すこしだけペースを落とし、キロ6分で走り続ける。
37km付近で、恵みの雨が降ってきた。
別に暑さに苦しめられている訳ではなかったが、それでも暑くない訳はないので、ここに来ての雨はありがたい。
それまでも数滴パラつくことはあったが、本降りの雨だ。
真上だけが雨雲、右の雲の切れ目からは日差しが射している。
沿道の人もずぶぬれ、道路も水浸しであっというまにシューズの中もずぶずぶ。
こんな雨の大会ははじめてだけど、嬉しい雨だ(沿道の人には申し訳ないけど)。

そろそろ完走が見えてきた。
38km、貯金はまだ3分ある。あと2kmで最終関門だ。
キロ7分まで落としても充分余裕がある。
はじめてホッとできる位置に来た気がする。
39km、あと1km。もう大丈夫だ。
バラバラと降っていた雨が上がり、40km関門に向かう直線道路の向こうの空に黒い雨雲、そこに虹がかかっていた。
40km関門は虹の下。
虹に向かって走るなんて、しかも最後の関門の手前だなんて、なんとも劇的というか。
そして40kmを通過。
後はゴールするだけだ。
ここさえ通過できれば、ゴールは待っていてくれる。
何度も何度もイメージしながら練習した最終関門。
通過したときは嬉しさがこみ上げるかと思ったけど、意外とあっさり通過。
しかし、さすがにホッとした。
すこし先の給水所ではじめて歩を緩め、しばらく歩きながらじっくり最後の水分補給。
やがて腕時計のアラームが鳴った。
15時55分、最終関門閉鎖の時間だ。

沿道の声援を受けながら、最後の2kmを走る。
最後までしっかり走る事ができる力が残っているのは嬉しい。

私にとって大会は全てハレの舞台なので、大会ではいつも原色のシャツを着るようにしている。
なんとなくだけど、白のTシャツだと日常から脱していない気がして気が乗らない。
でも、今回は少しでも暑さを避ける為に白の袖無しシャツにしたし、ランパンも愛用のインナーなしの黒をやめて淡い色のインナー付きにした(インナーなしの方がトイレでのロスタイムが少ないだろうし、多少は涼しいだろう、との狙い)
とにかく、全ては完走するために頑張ってきた。
何度もゴールする自分をイメージしながら練習した。
ちなみに最終関門閉鎖時間にセットしたアラームは、イメージトレーニングではフィニッシュ後に鳴ることになっていたんだけど、世の中そんなに甘くはない。
それはともかく、ようやく、そして、ついに、ゴールが見えてきた。
昨日来た中島公園に、ついに戻ってこれた。
フィニッシュは渋井陽子が日本新をたたき出した時を真似て、右手を突き出して駆け込もうと決めていた。
スタート前に「でも、袖無しシャツだから脇が丸見えでみっともないし、普通にバンザイしてゴールしよう」と思い直したんだけど、やっぱり渋井スタイルにしよう。
中島公園を入れば、あと600m。
スタート前に横にいたゼッケンが1番違いのランナーが前を走っていたので、追いつき追い越す。
右手を突き上げ、フィニッシュ。
3時間54分。
うわー、完走できたんだ。


ゴールしてからアイシング用の氷で頭と足を冷やし、タケダのレモンウオーター(1リットルとデかくて助かった)を飲みながら、しばし体を休める。
(ドリンク剤のアリナミンVもあったが気づいたら品切れだった)
じっくり休んでから、チップと引き換えにTシャツを受取りに行くが、事前に言われていた通り希望のサイズは品切れだった(Lしか残っていなかった)


翌朝、ホテルで北海道新聞の全完走者リストを見て、あらためて完走したことを実感した。
完走率は天気に恵まれたから80%近いと思っていたが65.7%とかなり低い数字だった。

本当に嬉しさがこみ上げてきたのは、大会が終わって数日後だった。
それだけ私にとってはプレッシャーが強い大会であったが、参加できて、完走できて、本当に誇らしい大会だった。
給水も、もっと殺伐としているかと覚悟していたがスムーズだしマナーもよかったし、問題はスタート後の混雑だけかな。
また来年も挑戦します。
1年かけて準備する価値のある大会だと思います。
   はじマラBBS






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