****** 大会データ ****** ----- 大会寸評 ----- おそらく公認大会としては唯一の夏マラソン(函館も公認だがやや時期が早い)。 以前から女子は世界陸上の選考大会になるなど格は高いのですが、今年は男女共にMGC(東京五輪出場権決定大会)の参加権対象大会になりました。 今年も5時間制限、定員を満たすまで昨年同様8日間かかったので、時間を緩くしても参加者増はちょっと無理かもしれません。 運営は例年通りで手馴れたもの、イマイチだった給食も結構良くなり、給水は相変わらずの充実ぶり。 気温的にタイムは望めませんが、出続けたくなるのは貴重な夏マラソンと札幌の魅力だからなのでしょう。 今年から視覚障害者の部も新設されました。 ----- 概要 ----- 種目:ファンラン約12km、フルマラソン 最寄り駅:大通り公園(地下鉄大通駅)。 スタート時刻:9:00 参加者数:合計17,000人 16,450人(インターネット申込・先着)/ 250人(郵送申込・応募多数の場合は抽選)/ 250人(宿泊付き先行予約・先着)/ 50人(チャリティーエントリー・先着) 完走率: 制限時間:フルは5時間。 関門:あり。5時間切れればクリアできるはず。 参加資格:19歳以上(高校生除く)。 受付方法:金曜と土曜受付、当日は受付なしです。 ----- コース・計測 ----- 計測方式:RSタグ、一般は1枚でした。 計測内容:1kmごと、中間点、フィニッシュ。ネットタイム計測あり。 記録検索:応援ナビ、ランナーズアップデート。 記録証:当日発行。後日ネットからダウンロードできる完走証もあり。記録集は後日郵送。 ペースセッター:なし。 ゼッケン枚数:2枚 ゼッケン番号順:たぶん持ちタイム順。 コース:大通公園西3・4丁目(駅前通)-すすきの-創成トンネル-創成川通-北8条通(JR札幌駅北口)-石山通-新川通(折り返し)-北海道大学-北海道庁(赤れんが)-大通公園西8丁目(北大通) コース上トイレ:11箇所あり。 アップ場所:ほとんどない。 キロ表示:1kmごと。 スタート順:持ちタイム別のブロックごと。 ロスタイム:Dブロック先頭付近で約2分。 給水:水17箇所、うちスポーツドリンクは11箇所。数も多いがテーブルも長くて美点の一つ。コーラもあったそうな。 スペシャル給水:あり。エリートのみ。 給食:バナナ(半切り)、プチトマト、白いバウム、スイカなど。 以前より相当充実しました。 私設エイド:あり。なかなか充実しているようです。 スポンジ:4箇所。 スタート前給水給食:あり。水、スポーツドリンク、バナナ、プチトマト。 ゴール後の飲食サービス:配られるのはペットボトルの水とアイシングアイス。その他に水、スポーツドリンク、バナナ、プチトマトのテーブルあり。 ----- 環境 ----- 声援:多めなので励みになります。 仮装:許されますが、うかつな仮装は命取りの時期です。 参加賞:Tシャツ。今年もSVOLME(フットサルなどでは有名だそうで)でデザインも色もイマイチ。 正直、ダサい。 完走賞:完走メダルとフィニッシャーズタオル。 参加費:11000円+手数料566円。昨年と同額。 荷物預かり:あり(貴重品以外)。 着替え場所:男女のテントあり。未使用なので混雑具合は不明。 会場トイレ:それなりの台数あり。男子小用は見当たらなかった。 スタート1時間前まではさほど混雑はしていなかった。 プログラム:事前送付のパンフと当日の立派な冊子あり。 写真屋:オールスポーツ。 招待選手:中本健太郎選手はじめ多数。失礼ながら全体的に小粒だが、夏マラソンは記録が出ないから仕方がありません。 ゲストランナー:橋本聖子さん(フル)、渋井陽子選手(ファンラン)、尾崎好美さんなど。豪華でした。 気温など:晴れ。 気温は9時から22度、24度、25度、26度、13時には24度、14時が23度。 湿度は76%から70%とやや高め、風は3〜5m。 やや湿度は高かったものの相当走りやすい天候でした。 ----- 個人データ ----- 体重、食生活: 前々日の体重62.05kg、体脂肪11.7%。 酷暑で10kmジョグがやっと、それすら完走できない日もあり、酷暑だけではなく老化か体調不良か。 6月の喜多マラソン以降は10kmジョグしかしていない。 シューズは長野での足裏の痛みが気になってゲルフェザーを採用。 ウエア:NB高機能グレー帽子、ミズノ白ノースリーブシャツ、ミズノ薄墨ランパン(この2つは夏マラソンの正装)、Zamstふくらはぎサポーター、アディダス厚めグレー靴下、リストバンド、練習用ウエストバッグ、シューズはゲルフェザーグライド4 26.5cm。 ダメージは右膝、足裏、アキレス、腰に筋肉痛、いずれも軽い。 相変わらず膝から下は浮腫みました。 ダメージはあまり残らなかったけど、レース中の足裏の痛みは半端じゃなかった。 |
【出場まで】 2/16、ツアー探しを始めましたが飛行機の割り増しなしのものでも64800円と高い。 どうせ飛行機は割り増し便の時間で移動するので、7万円を超えてしまいます。 さすがにツアーだけで7万出す気にはなれず、やむなく愛用していたホテルを諦めてルートイン札幌中央という初めてのホテルにしました。 飛行機ですが、土曜は午後着の飛行機、帰りも早めの時間にしました。 後日考え直して帰りも例年通りの時間の便で予約、55200円でした。 今年もホワイトベアー社。 席はなんとか窓側を取れましたが、往路は翼左後端36k、帰路は翼のすぐ後ろ38kでした。 他の窓側はもう埋まっていて取れません。 行きは63便12:00−13:35(割増2000円)、帰路も割増2000円で64便13:30−15:10。 エントリーは3/4(日)、たしか例年より1ヶ月早くなったはずです。 18時から受付でしたが19:30にエントリーを初めても十分間に合います。 5時間未満は公認大会のグロスタイムの申告が必要だが、唯一3時間40分台のタイムを出せた公認大会は直近では2017年の勝田なので、これが通用するのは来年まで。 次シーズンは頑張らねば。 3/12の17時にネット一般分は定員、昨年同様8日かかりました(郵送は19日まで)。 定員17000人、まあ人数も制限時間もここらがこの大会の上限でしょう。 7/25ごろナンバーカード引き替えハガキが届き、7/29に参加案内が届きました。 練習ですが、相変わらずというか酷暑のせいもあって練習できません。 暑熱順化の10kmジョグですら大苦戦、夜のジョグも苦しいけど午前中に公園で走るジョグは3回目の涼しい日にようやく10kmを完走できた状態。 たかだか10kmが遠いとは・・・。 足は相変わらず重い。 距離も踏めなきゃスピードも出ない。 無い無い尽くしです。 8/12、荷造りをして空港から札幌までの指定席をネットで予約、13:35着の飛行機で1430発、札幌1507着。 8/20ごろから台風が来る予報(しかも2つ)がどんどん悪化・・・。 ちょっとヤバイんですけど。 新幹線で行くことも考えて仕事中に新幹線の空席を見たらたくさんあったのですが、その日の夜に家で見たらもう残席わずか。 あわてて予約しましたがこれで行くとプラス3万円、しかも約7時間かかります(自宅〜新函館北斗〜札幌)。 なんとか19時前に札幌到着を予約しました。 会社で取っておけばもっと早く着く列車を取れたのに。 甘く見てた。 たぶん、この日(月曜)の台風進路でランナーたちが新幹線に群がったのでしょう。 ちなみにツアー会社に確認したら、往路の飛行機が欠航ならツアー中止、でも自費で新幹線で行くのは自由で、その場合は往路飛行機分は後日返金、ホテルと帰路の飛行機は使えるそうです。 ここからは台風情報とにらめっこの1週間でした。 水曜、ちょっと台風ヤバい。新幹線はもう空席なしになっていました。 予約しておいてよかった。 金曜、台風20号は低気圧に変わったけど19号から変わった低気圧が直撃みたいで、11時までの新函館北斗発札幌行き列車は運休が決定。 ひょっとしたら飛行機飛んでも空港からの電車が止まるかも・・・。 それ以前に飛行機飛ぶかしら。 今年のように12時発にしたのがどうも不利に働きそうです。 左側が20号、右が19号。 一番上が月曜夜の予報、最下段が金曜夜。 青い円が行き(土曜日)の予想位置、20号は木曜あたりには新千歳空港を通り過ぎて影響なさそうな位置になっていますが、画像右の19号がヤバそうな位置に近ずいてきちゃっています。 金曜夜には20号は温帯低気圧に変わって予報からは消えましたが影響は残るかもしれませんし、なにより19号が嫌な位置に来ています。 さて、どうなるのか。 |
【前日の様子】 土曜日、朝9時の時点で新幹線で行くか飛行機か判断するつもりでした。 新幹線が東京駅10時、飛行機が12時羽田発ですので、朝9時がリミットです。 もし新幹線をキャンセルして羽田に行ってから飛行機が飛ばなかったら、新幹線の空席はないので行けない(さすがに立ちっぱなしで札幌まで新幹線移動はしたくない)。 そんな最悪ケースも覚悟しつつ7時35分に起きて、真っ先に天気を確認。 おお、飛行機飛びそうな感じ。 フライト状況も念のためチェックして、8時前には新幹線はキャンセルしました。 払戻手数料に620円かかりますが、まあ保険代わりです。 9時に家を出ましたが、超暑い。 今年の東京は酷暑が長く続いています。 6月末に梅雨明けしてすぐに35度近い酷暑がずーっと続いています。 10時09分に荷物預けの行列に並び、10時18分に預けました。 13時半頃新千歳空港着なので、早めの昼飯を羽田で食べておきました。 今年は定宿とは違うホテルなので、ホテル名物の朝食でイクラ食べ放題が味わえないこともあって、3階の沼津寿司屋に行きました。 開店まで10分待って、魚河岸握りなるものを注文。 シャリが柔らかめで醤油につけた時に崩れるゆるさでしたが、旨い。 本来、寿司はネタに醤油を付けるのが正式なので、シャリの握り具合はこれが正式なのでしょう。 食べ終わったらすぐに保安検査(混んでた)を通過して、搭乗口着は11時08分。 1時間ほどありますが、遅刻するのだけは避けたいのでこれで良いのです。 早く着いたので先発の飛行機がまだいて、それが出発して入れ替わりようにすぐ乗る飛行機が到着してきました。 乗務員が階段から乗っていましたが、一礼して乗る人もいました。 到着遅れの影響で5分遅れのアナウンスがありましたが、天候は穏やかなようでホッとしました。 心配した台風の影響は今の所ありません。 12時に着席しましたが、まだまた人乗って来ます。 12時05分に出発、座席にはヘッドホンがありませんでした。 あとで毛布を配る時にイヤフォンをくれましたが、最近は使い捨てなんですね。 というか、iPhone用のイヤフォン使えば良いだけか。 便名はANAっぽい2桁便名ですが、ガルーダインドネシアとのコードシェア便だそうです。 飛行機はB777-300、ANAのものでしたし乗務員も日本人でした。 機内カメラはありましたが離陸は映さず、着陸時だけ映像を映していました。 機内wi-fi(無料)で専用アプリから地図を見ると現在位置や速度も(おおよそですが)わかるのが楽しい。 揺れもせずに5分ほど遅れて新千歳空港に到着、小雨です。 ネットで札幌行きの電車の指定席を取っておいたのですが、13時30分到着予定の飛行機だから14時30分の電車がいいと読んだのですが、これが大正解。 荷物が出てくるのを待ってホームに着いたのが14時12分、14時15分発の電車ではちょっと余裕が無さ過ぎです。 (快速エアポート号は15分おきの運行) 飛行機到着後1時間は余裕が必要です。 指定席を取ったのも正解で、満席でレース前に体力消耗するのは避けましょう。 以前は立って札幌まで行ったけど、若かったんだなぁ。 若かったから節約心も旺盛だったのかな。 この歳になると節約よりも「あと何回走れるかな」という気持ちが強くなってきて、あまり節約は気にしなくなります。 新幹線でいく可能性も考えて急遽モバイルバッテリーを持ってきたのですが、これも正解。 札幌到着前にすでにバッテリーが減っていましたが、そろそろiPhoneもくたびれているのかな。 新札幌辺りで日が差してきましたが、湿度は高そう。 15時12分札幌駅着、風が強く涼しい。 今年はこんな時間ですからまっすぐ受付の大通公園に向かい、15時43分受付終了。 エキスポもたいして見るものもなく、恒例のお餅だけもらって16時10にホテルにチェックイン、なぜか今年もダブルの部屋でした。 ホテルから会場まで12分位、まあ遠くはない距離です。 札幌まで来ていながらなんですけど、、いつも道マラ前夜に晩飯はコンビニです。 せめて地元感をということで、ホテル近くのセイコーマートで豚丼、いくらおにぎりなどを買って、明日の道順を確認。 ホテルを右に出て Uターンする方向で会場方向か。 どうも札幌のような碁盤の目状の街並みは方向が分からなくなります。 17時20分にはゼッケン類もつけ終わって準備完了、17時31分に大浴場でくつろぎ19時過ぎにはもう寝るだけの体制に。 風呂はそこそこ良かったが、昨年までの定宿の方がいろいろと上です。 ただ、ツアーだけで7万となるとちょっと・・・。 今年はホテルを変えたのと行きの飛行機を遅い時間(割り増し料金が安め)にしてこともあって5万円台に抑えられたので、大浴場があって会場に歩いていける場所という点では来年もこのホテルが有力候補かな(ルートイン札幌中央)。 明日は風もおさまって25度以下の予報、いくら練習不足とはいえ、せめて4時間は切りたいが、さて。 ホテルでエコ清掃なるもの(ゴミ捨てとアメニティ補充交換のみ)にしたらソフトドリンクを貰えました。 ただ、レース後にアーリーインできないあたりは以前の定宿より落ちますが、まあ仕方がないか。 あと、電子レンジも見当たらないのですが、これぐらいはなんとかして欲しいかな。 |
【レース内容】 さあ、レース本番です。 5時に起きましたが、風は後半出る予報ですがまあ仕方ない。 6時に朝食へ行きましたが、混んでますが待つことなく食べられました。 ありきたりのバイキングですが、牛丼が旨かった。 6時18分に部屋へ戻ってトイレで出すもの出して日焼け止めを塗って、7時17分にホテルを出ましたが、そこそこ暑い。 7時30分には会場入りしましたが、暑くなってきました。 早すぎたかな。 昨年見たかどうかあいまいですが、今年は事前給水食があり、バナナ、黄色いプチトマト、水、スポドリがありました。 日が差すとカーッと暑くなり、道マラらしい雰囲気になります。 7時45分にゼリーを飲み、7時50分に荷物を預け、トイレも2回行って、さあ行ってきます。 スタート1時間前にDブロック前の方に陣取りましたが、日が出てきました。 湿度は高いけど気にはならないかな。 あ、脚攣り帽子の芍薬甘草湯を飲み忘れた。 でもこの気温なら大丈夫かな。 車椅子マラソンを音だけで見送りました。 ゲストランナーは橋下聖子さんや尾崎好美さん(ファンラン)など豪華です。 さあスタート、入りは5分25秒といい感じです。 しかしすぐに5分40秒と落ちこみ、4kmあたりまで5分45秒近辺で走ります。 5kmは5分56秒と相当落ちましたが、その後5分30秒まで辺りまで盛り返せました。 4時間は、せめて4時間は切りたい。 6月の喜多マラソンでは久々に4時間を切れなかったけど、あそこはリタイヤも数回しているほど時期が悪いし、4時間切れなくてもショックはないのです。 でも道マラだけは4時間を切りたいのです。 4時間制限の頃から走っているので、それが私のプライド。 4時間を切るには5分45秒じゃダメなんだよなぁ、40秒はキープしないと。 しかし、こんなレベル低いタイムを考える身になるとは。 創成トンネルで前の方が騒がしいのでなにかと思ったら、後ろ向きで走りながら応援しているゲストランナーがいました。 応援は嬉しいのですが、後ろ向きで走る人間と同じ速度ってのがなんとも屈辱的でした。 後半の方でゴミ回収エイドがありました。 これはありがたい。 あと、給水で「道路はゴミ箱ではありません」と書いてあった場所がありました。 その通りなのですが、それならもっと先までたくさんゴミ箱置く工夫もぜひお願いしたいものです。 ウオーキングではなくマラソンという競技なのですから、そこは考えていただきたい。 18km付近でトップ(男子)とすれ違いましたが、大声で声援送ることでパワーを充填しました。 19km辺りでアミノバイタルの小型ゼリー、その先で小型羊羹を食べてエネルギー切れを予防します。 中間点はギリギリ2時間は切れていましたが、後半のバテが心配です。 ここはネガティブスプリットでまとめたいところです(難しいけど)。 くさや臭かった場所がありましたが、堆肥の匂いだったようです。 11回走っていますが初めての経験だったので、酷暑のせいかな。 23kmまではサブフォー近いベースで走れました。 25kmまでは出入りは多いものの失速はしなかった。 ところが26kmからキロ6分近くに落ち、5分40秒どころのペースじゃありません。 ジョグ並みのペースしか出せないのです。 26km辺りから頑張ってペースを上げたつもりですが、それなのに5分50秒がやっと。 やがて右膝が抜ける感じで力が入らなくなりました。 久々にチョウケイ靭帯を痛めたのかな。 給食で白いバウムやスイカを食べて気分を変えてみたが、全く効果なし。 気温は道マラらしからぬ走りやすさなのですが、脚が出ない。 35kmからはキロ6分どころか6分30秒近い超スローペース、もうダメ、サブフォーどころではありません。 サブフォーどころか、歩かないのがやっと。 足裏が痛い、とにかく辛い、心肺は余裕があるけど脚が動かない。 かろうじて残った最後のプライドは歩かないこと。 もう歩きたいという気持ちをプライドだけで堪えました。 とにかく両足裏が痛くて痛くて。 仕事終わりの夜ジョグよりも遅い速度、もう走る意味もないほどの失速ぶり、でもせめて歩かずにゴールを。 走りながら考えました。 この大会はサブフォー出来なかったら引退だな、他の大会と違ってここだけはサブフォーにこだわらないとダメなんだ。 それが俺にとっての道マラ。 こんなペースですし走りやすい気温ですから、給水も飛ばし飛ばしで間に合います。 それもあって最後は給水も取らずペースメイクしたがダメ、とにかく脚が動かないし足裏が痛い。 この気温ならコースベストが狙える、いやそれはもう無理としてもサブフォーは簡単なはずなのに情けない話です。 脚が動かない、ピッチもストライドも落ちる、足裏の痛みが半端ない。 歩きたい、どんどん抜かれる、ああこれで道マラは最後か。 とにかくゴールが遠かった、ジョグ以下の速度で走っても、正直意味はありません。 レースなのですから。 なんとかゴール。 4時間10分は切っていたようですが、4時間超えたら5分も10分も同じです。 辛いだけで収穫のないレースがようやく終わりました。 嬉しさも感動も味わえずにフィニッシャーズタオルと完走メダルを受け取り、完走証と荷物を受け取ってから芝生に移動、足裏をアイシングアイスで冷やしました。 この痛さだとホテルに帰るのにも相当苦労しそう。 明日、帰京するのもしんどいかもしれない。 ああ、俺の道マラ挑戦物語も平成と共に終了なのかな。 すっかり卒業モードになってしまいました。 直近2年のベストが3時間49分、また3時間50分を切れたら再挑戦するかもしれません。 でもまあ無理でしょう。 もう一度努力はするかもしれないけど、還暦前にして肉体の限界かな。 たしか最初に挑戦したのが2004年、挑戦11回目でついに限界。 今年3月の板橋シティですでにおかしかったし(3時間59分)、4月の長野では4時間は切ったものの6月の喜多マラソンは散々なタイム。 夏マラソンは甘くない、と言いたいが、今回は気温的にそんな言い訳もできない。 この気温で失速するとは。 もうマラソンを走る身体ではないのかな。 もう一度練習と言いたいが、ちょっとスピード練習しただけで体調を崩すようなヤワな体になったのが2年前、最近は8月に12kmジョグをしただけで脚が浮腫む始末。 練習以前の状態です。 このまま大会フェイドアウトかもしれない。 ホテルに帰ったら、もう清掃は終わって部屋に入れました。 大浴場に行ったけど2台しかない洗濯機は稼働中、20分ほど待って洗濯してから風呂に入って夕食は大公でラーメンです。 これが最後の大公かな、醤油ラーメンと餃子にしましたが、醤油ラーメンの一口目が異様に美味しかった。 すっかり卒業モードになりましたが、ホテルのベッドで考えました。 もし今シーズン3時間50分を切れたら、また来年道マラに挑戦できます。 今回一番問題だったのが足裏の痛み、ホテルで寝ながら足底筋膜炎について調べました。 だいぶ前ですが健康診断で不整脈を指摘された時にマラソン引退を覚悟したのですが、そのときは引退の寂しさはなく、むしろ肩の荷が下りてホッとしたのです。 ドクターストップなら仕方がない、そこまで相当な努力をしていたので「やりきった」という心境になれたのでしょう。 当時はそれだけマラソンに集中していました。 だから今回のように無念さが残るということは、努力不足の証拠。 もう一度やるか。 ただ、単に来年も出場では自分に甘すぎる。 そこで今シーズン3時間49分台を出せたら再挑戦、という方向に考えを変えたのです。 心は揺れる。 なんか甘すぎるかなぁ。 でも、今の私にとって5分27秒という3時間50分未満のペースは厳しすぎる数字です。 でも、もう一度夢を追ってみるか。 無理は承知で。 札幌最後の朝がきました。 来年は来ないかもしれない、いや、たぶんないだろう。 6時に起きて7時に朝食、ホタテごはんが美味しくておかわりしました。 唐揚げの甘酢あんかけも美味かった。 思ったよりこのホテルは朝食はいい感じでした。 8時にチェックアウト、外は肌寒くて小雨も降っていました。 昨日のスタートラインで写真を撮って8時40分に札幌駅、これが最後かあるいは・・・。 9時05分の快速エアポート号は今朝ネットで予約しましたがこれは正解、指定は1両のみで自由席はデッキまで一杯でしたから、往復指定席が正解です。 40分ほど乗るので、立っているのは辛い。 電車の中でここ1年の戦歴を振り返ったのですが、3時間50分すら遠い現実。 やはり今年が最後の道マラか。 でも僅かな希望だけは北の大地に残していこう。 9時44分に新千歳空港駅着、9時50分に荷物預けに並びはじめましたが、自動預け機になったにもかかわらず15分以上待ちました。 混んできたタイミングで別の場所にも案内していました。 お土産を買って立ち食い寿司をつまんでもまだ11時前、展望デッキでまったりしてから11時40分に保安検査通過、まだ出発まで2時間近くあります。 最後になるであろう景色を眺め、飛行機に乗り込みます。 帰路も到着遅れで5分遅れでしたが、搭乗に手間取ってさらに遅れて13時46分あたりに出発。 昨年だったか、荷物を積み込む人たちが手を振って見送ってくれていましたが、今年は3人ほどの係員さんが手を振ってくれていました。 着ないから手を振り返して(見えないだろうが)離陸、なぜか離陸の時もカメラで映していました。 多少揺れはしましたが15時30分着陸、16時05分にようやく荷物が出てきて、自宅着は17時20分ごろ。 今年はただただ疲れた感じです。 大会から11日目の木曜日、2018年(平成30年)9月6日 午前3時8分に北海道胆振東部地震(いぶりとうぶじしん)が発生しました。 マグニチュード6.7、最大震度は震度7、新千歳空港のある千歳市でも震度6弱を観測しました。 この地震で北海道全体が長時間停電し(厳密には水力発電の区域は停電しなかったか、早期復電したらしい)、列車も飛行機も全面ストップ。 街には水と食料を求める人が溢れ、特に観光客は電気が消えた街で自販機も使えず大変苦労したそうです。 少し時期がずれていたら大会は中止だったでしょうし、大会後ならば私も大変な目にあっていたと思います。 亡くなった方々のご冥福をお祈りし、北海道全体の1日も早い復旧復興を願ってやみません。 ついに私の北海道マラソン物語も幕が降りたのかもしれません。 でも足裏を鍛え直し、練習ももう一度取り組み直し、もう一回だけ頑張ってみます。 今シーズンの予定と道マラエントリーを考えたら、11月のつくばマラソン、1月の勝田全国マラソンのいずれかで3時間50分を切れるかどうか。 もし切れたら来年も道マラにエントリーしてサブフォーを狙います。 ただ、3時間50分ってキロ5分27秒未満が必要です。 正直、瞬間的に5分半を出すのが精一杯なので、相当難しいと思うのです。 でも、諦めずにもう一回だけ頑張ってみます。 体の衰えがなかなか受け入れられない。 道マラは4時間切れなくなったら引退、勝田は歩道走になっら引退、なんとなく大会ごとにハードルを作っていく感じが私の老後マラソンには必要なのかもしれません。 ここ数年は惰性で出ていた感もありましたが、大きな区切りの大会になってしまいました。 何一つ収穫がないレースでしたが、サブフォーの大切さと、私の中では道マラは相変わらず特別なことだけはわかりました。 来年、あるいは再来年、また走れる日が来るかどうか。 |
【写真と記録】 タイムは自己計測ネットタイムです GOAL 4:07:35 前半 1:59:44 後半 2:07:51 前半までもよくはないけど、後半がズタズタでした。 タイムがタイムですから、グラフもまあ悲惨kな感じで。 ちょっと意外だったのがピッチは後半やや上がっていること。 まあストライドがダダ下がりですからタイムは落ちる一方でしたが。 あと心拍は相当余裕があるようです。 要するに脚が持たなすぎた。 羽田で早めの昼食、美味しゅうございました。 乗る便にはANAとGAのロゴが交互に表示されていました。 59便です。 乗る飛行機が近づいてきました。 B777-300、以前はジャンボでしたが引退しちゃいました。 B787は札幌便には使わないのか、まだ乗ったことがありません。 東京湾を後にします。 上空の雲、神の目線かな。 新千歳に到着、雨が降っていました。 台風の影響はなくてホッとしました。 乗ってきた飛行機と空模様、レース内容を暗示するような気もします。 光っちゃったけど札幌駅です。 渋谷で言えばハチ公像かな。 札幌は晴れていました。 1年ぶりのテレビ塔です。 今年も道マラ規制テープと再会。 私にとっては4時間制限時代からの馴染みの仲なのです。 受付会場併設のEXPO、あまり見所はないかな。 横顔の赤いウエアの女性は尾崎好美さんだと思います。 この大会はもらったチップをチェックする仕組みになっています。 動作確認です。 今年もスポンサーのスボルメのブースです。 この行列は・・・・・ すっかりおなじみのお餅無料配布です。 ランナーしか貰えません。 風が強かった。 風で壊れたテントが写っています。 このテントだけ立て付けが悪かったのかな。 ホテルの部屋です。 初めて泊まるホテルです。 ダブルの部屋ですが、予約が早いとよくあるのです。 正直、ビジネスホテルはシングルの方が狭いけど配置が機能的なので嬉しくはないかな。 いただいたお餅、美味しゅうございました。 参加賞のシャツ、デザインも色もセンス悪い。 おまけに安いアイロンプリント。 スカイマークからは絆創膏2枚。 レースの時に胸に貼りました。 スカイマークは空港係員が道マラのシャツを着て応援してくれたらしいのですが、あいにくANAだったので・・・。 当日のいでたち、最近はみっともないけどふくらはぎサポーターを使うことが多いです。 素足で走りたいけど、一度壊したから怖くて。 レース当日朝の朝食。 カレーと牛丼、ご飯は山盛り。 昨年からはまなす車イスマラソンも同時開催になりました。 レース前にも給水と給食がありました。 給食はバナナとこのプチトマト。 給水は水とスポーツドリンク。 スポドリはイオンだかどこだかのPBみたいなものだったかな。 荷物預かりはこんな感じ、雨ざらしになります。 ここからはレース後。 時々日が差す天気でした。 これが最後か、大公のラーメンと餃子。 醤油ラーメンにしました。 餃子はごく普通の味。 フィニッシャーズタオルとメダル。 月曜日の大通公園。 祭りの後の風情。 以前、大通り公園が会場ではなかった頃は、月曜にここで屋台のとうきび(とうもろこし)を食べて余韻を味わったものです。 この写真では見えませんが、スタートライン横のビルには温度が表示されています。 この辺りからスタートしました。 すぐ右に曲がるとスタートゲートでした。 写真では小さいけど、赤レンガ庁舎が綺麗でした。 どんよりと札幌駅、これが最後か。 新千歳の荷物預けも自動(機械)になっていましたが、長蛇の列です。 奥のAIR DOが出て行って、私の乗るANAが来た時の写真です。 北海道の空、秋の雲って感じですか。 東京付近の雲、入道雲の小さい感じ。 この日の夜、東京は物凄い雷が長時間続きました。 羽田に着きました。 最後かもしれない北海道の旅が終わりました。 |