富士北麓2004





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2004 富士北麓

今年の24時間リレーマラソンは、とんでもない結果になってしまいました。
会場入りからわずか30分で倒れて救護室へ運ばれ、その後一周も走れず、リタイヤ。
今でも、狐につままれたような気がします。
いったいなんだったんだろうか。
俺の体に、なにが起きたんだろう。
まさか号砲の前に倒れるとは。

リレマラのような団体競技だと、いつも以上に体調管理に神経を使います。
週のはじめに、どうしても欠席できない飲み会があったのですが、妙にビールがのどにつかえる感じがして美味しくなかった。
それが気になって、それ以来アルコールは口にせず体調管理に気を使ったおかげか、大会当日は好調でした。
朝4時半に起きて、朝食をガッチリ食べて、途中でお腹が減った時やスタートまでにお腹がすいた時の為に、コンビニでおにぎりの買い出しをしました。
あとはまなぶさんの車に乗るだけですし、私の自宅前まで来て下さるので非常に気が楽です。
昨年のように大荷物を抱えて電車を乗り継いで、駅の階段を大汗かきながら移動したことを考えると夢のように楽です。

当初は、昨年同様電車移動の予定だったのですが、なにしろ荷物が多くて、なんとなく弱気になって、結局車に乗せて頂くことにしました。
寝坊した時に迷惑をかけるのが嫌だし、そういった意味では電車が気楽なのですが、人は低きに流れるもの。
なんだかんだいいながら、楽な方を選択していました。

着替えや予備シューズなど荷物の一部は事前に宅急便でまなぶさんに送ってありますが、それでも、まだまだ大量の荷物です。
一番の大物は昨年も活躍したキャスター付きのソフトクーラーバッグですが、ここには凍らせたペットボトルが大量に入っています。
昨年も同じように凍らせたペットボトルを持ち込む計画です。
でも、凍らせたペットボトルって、半分ほど溶けてからはボトル内の空気が断熱材になって、なかなか溶けません。(ボトルの中央に棒状の氷が残って、そこから先はなかなか溶けない)
凍らせたスポーツドリンクは、溶けはじめは濃く、そこから先は薄い味で不味かったので、今年は水を中心にして、粉末のVAAMでカバーする作戦にしました。

凍らせた500mlのペットは、ポカリ4本、VAAMウオーターが2本、水10本。
あとは、変質しそうで凍らせなかった紙パックの200mlトマトジュースが8ヶ、350mlの缶ビールとチューハイ各1本。
飲み物の合計は10リットルを超えます。
これだけあれば、人にあげられるだろう。
昨年同様、飲料だけはこだわっていました。全員は無理でも、一人でも多くの人の役にたつよう、とにかく量を多く持っていくことだけを考えていました。


やがて、まなぶさんの車が着きました。
前半は渋滞していましたが、まあ焦ってもしかたありません。
今回のように2人という人数だと、遅刻しても大勢に与える影響も少ないし、一人と違って焦りもない(仲間がいるから)から気が楽です。

先に到着したいけきょうさん達がテントの屋根まで組み立てたという連絡を移動中の車中で聞き、ひょっとしたら到着する前にテント設営が終わっちゃっているんじゃないかな、そうなら楽だけど、ちょっと残念。・・・と、この時点ではのんきに考えていました。

実は今回のテーマというか、俺的重要ポイントはテント設営でした。
昨年、テント設営を手伝った時は着替える余裕もなくジーンズ姿でしたので大汗をかいたし作業しづらかったし、なにより心構えが出来ていなかったから、テント設営だけで凄く体力消耗しちゃいました。
それなら、2回目の今年はテント設営を楽しんじゃえ、ということで、雰囲気を盛り上げる (^^; ために、手には軍手・上半身は白いランニングシャツ・頭には黄色い安全帽(ヘルメット)と後頭部は日射しをさける地味な色合いの手ぬぐいと、現場作業の雰囲気満点で、しかも動きやすい格好で気合いを入れました。

号砲前の大仕事であるテント設営を盛り上げて楽しむための服装でしたた。  ・・・まさか、この格好で倒れるとは夢にも思わなかった(爆)

(細かく言えば、倒れる前に少しでも体を冷やそうとして軍手は外しヘルメットも投げ捨て、手ぬぐいもどこかに消えました)
(後日談ですが、手ぬぐいはまなぶさんが届けてくれました。愛用していたものだったので嬉しかった)



北麓公園には、10時15分ぐらいに到着しました。
このあたりは標高1000mを超える高さで、東京の高尾山の山頂よりも高いこともあって、暑いけど多少すごしやすい湿度です。
車を降りてまっ先にトイレに向かったのですが、標高が高いせいか、ちょっとフラフラしました。
昨年は一人の電車移動で早く着き過ぎて、富士吉田の駅で時間調整している間に標高の高さに慣れたけど、今年は楽をして車で来たから体が慣れていないのかな。
それにしても、フラフラする。
今考えれば、これが前兆だったのかもしれません。
すでに、体からSOSが出ていたのかもしれません。

とても1回では運び切れない荷物の量なので、まず貴重品をテント設営地に運び、次にペットボトルが入ったクーラーバッグを運び、あと1回分の荷物は落ち着いてから運ぶことにしました。
ちなみに、これらは全て私の分だけで、まなぶさんはイスとかマットとか、私よりもさらに大量に持ち込んでいました。
1年ぶりの富士北麓公園ですが、なぜか懐かしさを感じませんでした。
もともと感情豊かなほうではない人間であることは充分知っていますが、自分でも不思議なほど無感情で、ちょっとショックでした。
今考えると、無意識のうちに体から悲鳴があがっていて、無意識のうちに心が感情を閉ざしていたのかもしれません。

場所は昨年のテント配置図でわかっていたつもりですが、一つ手前のブロックに迷い込んでウロウロしました。記憶ってのもアテにならないですね。
ようやく、いけきょうさん、たかさんと合流、なんと2人でテントの屋根まで組み立てていました。
てっきり他のメンバーも到着して屋根組みをしたと思っていたので、2人だけでそこまで頑張っていたのを見て、感心しました。
さあ、ここから俺の出番、気合いを入れてテント設営を手伝いました。

組み上がった屋根を持ち上げて6本の足を固定すれば、テント設営は終わったも同然。
4人で屋根を持ち上げて足を固定していた時、一番下の足の1本が伸びきっていなかったので、その足を広げにかかりました。(キチンと足を伸ばして、斜めの支え(角筋交い)を固定しないと危険です)
ところが、なんだか力が入らない。テントの骨組みの部材が変型しているんだろう、と、テントのせいにしているうちに、なんだか体が変です。

意識はしっかりしているものの、目の前がチカチカして顔から血の気が引いていくのが分ります。   ヤバい。

頑張っている3人に申し訳ないと思いつつ、緊急避難、とりあえずその場にしゃがみ込みました。
とりあえず水分補給せねば。
テント設営をほったらかしてクーラーバッグの中のトマトジュースを飲みました(ペットボトルは凍っているので飲めない状態です)
風にあおられて、屋根のシートがめくれそうでしたけど、もう体がおかしい。シートを固定するヒモを握りしめてシートがめくれないようにするのが精一杯でした。

結局、屋根の頂上部分を固定するヒモを結び忘れていたので、一度屋根を下ろすことになりました。
仕切り直しです。

屋根を下ろすところまで手伝ったのですが、この時点で限界でした。
すでに、顔から血の気が引いているのが分りました。
もう無理。テント設営どころじゃない。あわてて、クーラーバッグから 凍ったペットボトルを取り出して首筋などを冷やしたのですが、ペットボトルは熱伝導率が悪いので、まったく利き目がありません。

近くに水場があればよかったのですが見当たらないし、もう歩ける力など無い。
斜め下のチームのテントは、ほぼ組み上がっていて、テントの脇に幅50cm位の日陰ができていました。
他人のテントに入り込ような格好になりますが、やむなくその日陰に寝そべりました。
なにしろ、他に日陰がないんです。

すこし日陰で休めば復活するかな、と思ったのですが、甘かった。
すでに、その時点で腕が痺れはじめていました。しまった。やっちゃった。ヤバい。

腕のしびれはどんどん酷くなって、あっという間にひじから先がビリビリと凄い痙攣で、指も突っ張って動きません。

普通なら仲間に助けを求めるのでしょうが、それだけは出来ない。
そんな余裕はないのは昨年の経験で知っている。
どうせ人に迷惑をかけるなら、赤の他人にしちゃえ。
無茶苦茶な理論ですが、なにしろ他のチームも出そろっていない状況で、近くに助けを求めるには斜め下のテントしかありませんでした。
そのテントの方々にとっては迷惑千万な話ですが、それしか選択肢がなかったのです。


マラソンというかジョギングというか、走り始めるよりも数年前に、熱痙攣で倒れて病院に運ばれたことがあり、今回はその時と似た症状でしたが、今回の方が重い。


うわー、やっちゃった。どうしよう。
けいれんする手足、コントロールできない自分の体。
ひじから先が、強力バイブレーターのようにブルブルと痙攣しています。
斜め下のチームのテントは骨組みが組み上がっていて、後は壁部分にシートを結び付けるだけの状態でした。
斜め下のチームも少人数でテント設営していたので、忙しい中に迷惑をかけるのは嫌だし恥ずかしかったのですが、これ以上悪化してしまったら、さらに多くの人に迷惑をかけてしまう。
3人で必死にテント設営をしている「はじマラチーム」を横目で見ながら、 斜め下のテントの女性に「気分が悪いので主催者を呼んで下さい」とお願いし、また横になりました。
いきなりの事で、その女性はキョトンとしていましたが、どうやらすぐに主催者の方に向かってくれたようです。
ここまで悪化した場合は、何もしないのが一番なので、目をつぶって周囲のことは見ないように、音もなるべく聞かないで、安静に勤めました。
少しでも手当てしたかったので、斜め下のテントの男性に「すみません、濡れタオルありませんか?」とずうずうしいお願いをしたところ、その方は私がそこまで具合悪いとは思わなかったようで、怪訝な顔でこちらを見ていました。
やがて、私の異変を察知したらしく「大丈夫ですか?。主催者呼びましょうか?」と声をかけてくれました。
ん?、ってことは、まだ主催者を呼んでないのかな?

手の痙攣が、手だけですめばいいけど、これが体の内部まですすむことってないのかな?。
心臓とかに行ったら、死ぬんだろうな。さっきの女性が主催者を呼んでくれていると嬉しいんだけど。
そんなことを考えているうち、どうやら救護の人が来たようです。(心を落ち着けるために意識的に目は閉じていたので、この間だれがどう動いたのかは全く見ていませんでした)
結局、担架で運ばれることになりました。手の痙攣がひどく、足も動かない状態で、みっともないけど担架にのるしかありません。

「テント設営中のはじマラの3人はビックリしてるだろう。
 助けを求めたテントの人達もビックリしてるだろう。
 しかし、こんな強い痙攣じゃ、走れるまで回復するのに時間が
 かかるだろうし、俺の富士北麓はこれで終わりかな。
 一人欠けたらローテーションはどうなるんだろう。
 なんで、こんなことになったんだろう。」

揺れる担架の上で、そんなことを考えていました。
担架は2人(または3人)で運んでいるらしく「この担架、本当は4人で運ぶんだよなー」というボヤき声が聞こえました。どうやら、私の意識がないと思っていた係員が思わず本音を言っちゃったみたいです。
ゴメンナサイ、と思わず謝りました。

意識的に目を閉じ続けましたが、周囲の雰囲気で救護室に着いたことが分りました。
ひじから先はビリビリと強い痙攣、ひざから下も痺れている状態は続いていましたが、なんとか自力で床に置かれた担架からベッドによじ登りました。
本大会最初の病人だったようです。
係員の準備もできていなかったようで、慌ててアイスバッグを用意している雰囲気でしたし、ドクターの姿は見えませんでした(結局ドクターは1時間半後、号砲から20分後ぐらいにに来ました。)

靴と靴下を脱がされ、足首付近に4つ、脇の下に2つのアイスバッグをあてがわれて、応急処置完了。

しばらくして痙攣もちょっと落ち着いてきたら、のどの乾きを感じてきました。
遠慮しつつ、水をいただき水分補給をしましたが(遠慮する場合じゃないけど)、スポーツドリンク1本、水が3〜4本と、2リットル以上いただきました。
この後テントに戻ってからも水・VAAMウオーター・ポカリを各1本、トマトジュース200mlを3つ、帰りの駅でアクエリアス2本、帰宅してからも水分補給しましたので、倒れてから5〜6リットルの補給量です。
この量から見ても、脱水からくる熱痙攣だと思いたいのですが。。。

救護室に着いたのは11時前でした。
焦ると体に影響しそうなので、意識的に時計は見ず、なにも考えないようにしました。
正直言って、手が痙攣した時に終わったと思いました。
でも、これから始まる24時間、ここで終わるわけにはいかない。
しかし、この体じゃ、現実的には、もう無理かな。

色々考えながらも、頭の片隅にいる冷静な自分は「あの状態になっちゃ走れないだろ。早く諦めろよ」とささやいていました。
なるべく見ないようにしていた時計の針が11時30分を指しました。
号砲まで、あと30分。まだ腕の痺れが残っていて、走れる状態ではありません。
昨年はスタート直前までバタバタしていて開会式があったのかどうかすら憶えていないのですが、今年は10回大会ということもあってか、開会式らしきものがあったようで、男性の挨拶の声が聞こえてきました。

やがて、号砲。花火も上がったようです。
まさか、ベッドの上で聞くことになるとは。昨年同様、動画デジカメでスタートを撮影するはずだったのに、撮影どころじゃありません。悔しいという気持ちよりも、唖然とした気持ちです。

号砲からしばらくして、ランナースさんが来てくれました。
走ってきた後らしく、汗が光っています。
不思議に、「走れて羨ましい」という気持ちはなく、走りたいという気持ちも湧いてきません。

その後、渋滞で現地到着早々のまるちゃんが付き添ってくれました。
主催者から、だれか付き添うように言われたらしく、ランナースさんと交代で付き添ってくれました。申し訳ないことです。

結局、医者が到着したのが12時20分。
係員から医者へ全く情報が伝わっていなくて、医者に最初から説明するハメになって、しかもこっちは口を聞くのもダルイ状態ですし、はたしてどこまで正確に伝わったのか疑問です。
医者は過呼吸発作を疑っていて、それを検査する機材を探していましたが置いていなくて、病院で検査するのはどうですか、と進められました。
ちなみに、救急病院の名前も電話番号もこの時点では誰も分らなくて、係の人が調べていました。不安な体制だなー。大丈夫なのかしら。。

医者に行けば、原因は特定できるでしょうが、また多くの人の手を煩わすだけだし、なにより医者に行っても走れる体に戻れるとは思えない。 というか、数日は安静にして、と引導を渡されるのがオチだし、万に1つの可能性だけれどもテントに戻って体を休めて、夜からでもいいから復活する方に賭けることにしました。
医者から過呼吸の対応法であるペーパーバッグ法(紙袋を口にあてて、吐いた空気を吸い込むことによって回復する)を教わり、5分ほど行ってみましたが、さっぱり効果なし。

これ以上救護室にいても積極的治療があるわけじゃないことが分かったし、腕のしびれも前よりは軽くなってきたので、・・・というか、本音はたいして変わらなかったけど、とりあえずテントに戻っることにしました。

もし、テントまで歩けないようなら救急車を要請して、歩いてテントに戻れるようなら、しばしテントで休んで(今までも休みっぱなしだけど)様子を見ることにしました。


結局、テントまで歩いて戻ったものの、テント奥で寝たり起きたりといった状態で、水分塩分補給をしたりトイレに行ったり、回復につとめたものの、やはり回復しませんでした。


情けないけど、申し訳ないけど、もう帰りたい。
これ以上、ここにいても何もできない。


人数が減るのはチームとしてはキツいし、何一つせずに帰るのはきっと自分が後悔するだろうけど、もう帰るしか選択肢がない。
悶々としながら体が回復することを祈りながら、結局17時過ぎにリタイヤを宣言しました。
迷惑かけっぱなしですが、最後の迷惑、お言葉に甘えてまなぶさん達に駅まで車で送って頂きました。


ほとんどの方に挨拶せずに会場を後にしました。挨拶する気持ちの余裕すらなかった。主催者に一言ご挨拶すべきだったけど、それもできなかった。
ただ、助けを求めたテントの方々には、リタイヤ宣言をする前に一言お礼とお詫びの挨拶をしておきました。(それだけは、なにがなんでもしなければと思っていたので)


いったい、なにが起きたのだろう。
俺の体に、なにが起きたのだろう。



家に帰ってからも、うでのしびれは続いていました。
一晩経って、ようやくしびれはなくなったものの、倒れた後遺症なのか、風邪のような症状で、結局日曜正午のゴールも、翌日の海の日(仕事は3連休を取っていた)も寝たままでした。

その後、あらためて医者に行ったものの、当然ですが発作の時に検査しないと原因は分らないとのことで、過呼吸か、熱痙攣か、あるいは脳波の異常(てんかんとか)か、これから探ることになりました。

「だから、現地の病因で診察を受けた方がいいっていったじゃない」と叱られそうですが、あの時は原因なんてどうでもよくて、なんとか奇蹟の復活ができれば、と、そっちに賭けていたので、博打ですから後悔はありません。反省はしていますけど。

それにしても、みっともない話です。
しかし、事実は事実。
たぶん、参考にはならないでしょうし、みっともないだけの話ではありますが、説明責任を感じて長々と書きました。
読んだ後、不快感を感じた方がいらしたら、お許しを。


本当に多くの方にご迷惑おかけしました。
あらためて、お詫びいたします。
きちんと原因を追求するまで、しばらくマラソンから離れてみようと思います。
皆様、本当にご迷惑おかけしました。

無念というより、今だ悪い夢のような気持ちです。

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