第42回防府マラソン(2012年12月18日 フル)

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****** 大会データ ******

----- 大会寸評 -----

かつては参加資格が3時間と本格派ランナーの大きな目標だったが、参加者が減少したことから制限時間4時間に緩和されて今年で4回目。
フラットなコース、比較的走りやすい時期、参加者も少なく記録が狙える大会。
地元ではテレビとラジオが中継するなど、普通の市民マラソンではなくワンランク格が高い。

----- 概要 -----

種目:10km、フルマラソン。公認大会。
最寄り駅:山口県防府駅から有料シャトルバスで10分。
スタート時刻:フルマラソンは12時2分。
参加者数:出場者は全体で1909人(女子174人)。
完走率:フルは1511人が完走、213人がDNF、完走率87.6%。
263人がDNS。
制限時間:フルは4時間。
関門:あり。4時間ギリギリのランナーは注意。
参加資格:フルは高校生以下を除く。

----- コース・計測 -----

計測方式:ニシスポーツの四角いナンバーカード裏のタグ。
計測内容:5kmごとと中間点、フィニッシュ。
記録検索:大会翌日には公式ホームページに全選手の記録が載る。
5kmごとのラップ、DNS、DNFも載る。
記録証:即日発行、B5サイズ。
ペースセッター:なし。
ゼッケン枚数:登録は2枚。一般はどうだったかしら。
ゼッケン番号順:申告タイム順らしい。

コース:防府市陸上競技場発着、大字田島北山手折返し。
序盤は同じようなところをグルグル、あとは折り返し中心のコース。
ほぼフラットで記録が狙えるが、序盤にペースが上げられないのが難かな。
陸連公認コース、公認大会。
コース上トイレ:10カ所にあり。
アップ場所:競技場周辺と、スタートが近くなるとトラックも解放される。
キロ表示:1kmごとと親切。

スタート順:ナンバーカード順のプラカードに並ぶ(結果、タイム順になる)。
陸連ブロックの特典無し。
ロスタイム:1300番台の先頭からスタートして30秒。
給水:8カ所、4〜5kmごと。
比較的少なめなので、気温が上がったらちょっとキツいかも。
スポドリ(ダイドーのスピードアスリート)と水の両方が置いてある。
スペシャル給水:招待選手と2時間25分以内の選手のみ。
給食:なし。4時間大会らしいところ。
私設エイド:一カ所あった程度。
スポンジ:なし。
スタート前給水:なし。

----- 環境 -----

声援:やや少なめ。でも、今年は公務員ランナーの川内選手目当てで例年より多かったらしい。
仮装:禁止。硬派の大会です。
参加賞:小さな置き時計。タイマーとか温度計にもなる。
ゴール後の飲食サービス:ペットボトルのスポドリ(ダイドー)、うどん。
参加費:フル5000円、10km3000円、陸協の記録証は600円(送料込み)、成績一覧表は1000円(送料込み)。
ただし、成績一覧表はホームページにアップされたpdfを印刷しただけのもの。
荷物預かり:貴重品のみ。このあたりも含めて昔のマラソン大会らしい雰囲気が多く残る。良くも悪くも。
着替え場所:ソルトアリーナ防府にあるらしい。
会場トイレ:既設と仮設、参加者が少ないので十分。競技場裏の既設は穴場。
プログラム:選手名簿兼用の立派な冊子。
写真屋:オールスポーツ。
招待選手:多数。今年の目玉は川内選手。
気温など:
11:00 晴 10℃ 44% 北西 1.79m
12:00 曇 8.5℃ 52% 北西 2.3m
13:00 晴 10℃ 44% 北西 2.4m
14:00 曇 9.0℃ 48% 北西 3.0m
15:00 曇 8.5℃ 52% 西北西 3.2m
16:00 曇 8.5℃ 52% 西北西 2.1m いずれも防府市陸上競技場にて。
風も気にならない程度、やや寒かったがマラソン日和だった。

----- 個人データ -----

3日前の体重56.6kg、体脂肪7.7%。
はじめて観光優先での遠征でした。
装備はNIKEの練習用帽子、アディダス黒長袖、リストバンド、ロングタイツ、指なしソックス(メーカー不明)、シューズはイダテンGR。
ダメージは右ふくらはぎと左モモに筋肉痛程度で軽かった。
火曜日には10kmジョグ、金曜には20kmジョグができるほどダメージは少なかった。
つくばも含めてレース後に下り階段での痛みがないのは、脚で走る悪い癖が無くなったからではないか。
【防府までの道】

今年の1月の谷川真理ハーフマラソンを走った後に気が付いたのですが、今年でマラソン10年目になります。
でも、あまり実感はありません。
デビューした年は10km大会に二回出ただけで終わりました。
私にとってランナーの原点が二年目の3月に出た初フルマラソン(荒川市民)のゴール地点だと思っているので、あまり10年という実感が湧きません。
32km地点から延々と歩いて5時間41分かかって疲労と挫折感とともにたどり着いたあのゴールラインこそが、私の原点。
そもそもランナーは暦年ではなくシーズンで考える生き物、今年が何年目というより何シーズン目のほうがしっくり来ます。
さらに言えば、私は今の数字にはこだわるけど累積数字はあまり興味がありません。
今年何キロ走った程度のことはデータとしてメモしますが、トータルで何キロとか何年とか何回とかにはこだわりません。

でもまあ、その手の能書きを言い出したらきりがないので、今年はマラソン10年の記念イヤーと位置づけました。

その記念イヤーですが、1月の谷川ハーフではまあまあでしたが、1月末の勝田フルでは走行中に車を通すために1分近く止められて3時間30分、そして3月の大震災で板橋シティ(フル)は中止。
今年は2月と4月に大会を入れていなかったこともあって、1月末から6月の喜多マラソンまで丸4ヶ月ものブランクと、記念イヤーにしては寂しい前半戦でした。

記念イヤーなのでどこかに遠征して記念にしようと思い、大会探しをはじめました。
遠征するならフルマラソンの公認大会がいい、昨今あちこちで生まれている大会(大阪や奈良など)も検討しましたが、どこもピンときません。
4時間制限ぐらいが人数も少なめだし確実に完走できるのでいいかなと思って見つけたのが、防府読売マラソンでした。

最初はぼうふ、と読んでいて、家のパソコンでは変換できないのでやっぱり「ことえり」(Macの日本語変換)は頭が悪いなぁと思っていたら、ほうふ、と読むんですね。
頭が悪いのは私の方だった・・・。

防府マラソンは、以前は参加資格が3時間と本格派向けの大会で、サブスリーランナーの大きなモチベーションになっていたそうです。
参加者が減って、その対策として制限時間を4時間に大幅緩和して今回が4回目、大会自体は42回と歴史ある大会です。

私にとって参加する一番大きな理由が、防府は俳人・山頭火の故郷だったことに気がついたからです。

漂泊の俳人、種田山頭火。

大地主の家に生まれながら11歳の時に母が井戸に身を投げ自殺、その後家は相場取引に失敗して没落、家屋敷を売り払い父親と酒蔵を営むもそれも失敗して一家離散。
やがて山頭火は出家し、行乞という形でさすらいの日々を送る。

アル中の乞食坊主と酷評する人もいますし、地元では嫌われ者だったという説もあります。
しかし、山頭火が詠んだ自由律俳句が心に響いた人にとっては、当時も今も尚、彼の存在は心から離れないのではないでしょうか。

遠征するときは2泊か1泊、マラソンのために観光で足を使うことは避け(もともと観光に興味はない)、マラソンに集中するのが私流ですが、今回は観光もたっぷり楽しもうと3泊のゴージャスな旅にしました。
結果論ですが、11月のつくばで3年ぶりに自己ベストを更新でき、それも3時間25分台と望外の好タイムでしたので、今回はマラソンは二の次として位置づけることができました。
しかし、旅行嫌いの私が山頭火の足跡をたどることになるとは思いもしませんでした。
いくら山頭火が好きと言ってもマラソンがなければ山口まで行く気にはなれなかったでしょう。
マラソンと出会えてほんとうに良かった。

防府マラソンはあまり情報もなく、大会ホームページも防府市のサイト内にちょこっとある程度です。
8月ぐらいに日程が発表になりますが、その前にボランティア募集などで日程が確定したことを確認できますから、日程が決まったら速攻で宿をゲットしましょう。
私は出遅れて、狙っていた宿が全滅でした。
幸い、3泊とビジネスホテルにしては長めだったので、ネット上では満室でしたが電話して問い合わせたらなんとかスーパーホテル防府に泊まれました。
ただし2泊で帰っても3泊分は支払う縛り付きでしたが。

東京からの足は、迷ったあげく新幹線にしました。
値段的には飛行機でホテル付きツアーの方が安いのですが、札幌あたりと違って山口宇部空港は便数が少なく、都合のいい時間が見あたりませんでした。
それに空港から防府まで戻るのがちょっと面倒だったこともあって、4時間半の新幹線という長旅を選択しましたが、結果的にはこちらで正解でした。
飛行機と違って乗り遅れても次で行けるし、早いのにも乗れる、本数も多い。

観光メインということで、遠征に愛用している車輪付きバッグはやめて、リュックとスポーツバッグにしました。
バッグは網棚に、リュックは足下に。
初日の観光でも、バックはコインロッカーに預けてリュックで歩き回りました。
これも正解でした。

それから、今回はホテルのランドリーを活用して、毎日洗濯していました。
干す場所が少ないのでこまめな洗濯が必要です。
一応、予備の下着類も持っていきましたが、二枚を交換に洗ってはいて間に合いました。

日程は3泊4日、マラソン後に歩き回るのは辛そうなので金曜出発・月曜帰京にしました。
まあ、山頭火を訪ねる旅ですから、マラソン後に痛む足を引きずって歩くのも「らしい」のですが。

山頭火といえば自由律俳句。
山頭火の生き方に影響を与えたのが、同じように漂泊した俳人・尾崎放哉です。

放哉の句に

「咳をしても一人」

がありますが、後に山頭火も

「鴉(カラス)啼(な)いて わたしも一人」

と詠んでおり、添書きとして「放哉居士の作に和して」あります。

私も山頭火に和して、一人を織り込んだ句を詠みたいと考えていましたが、事前に頭に浮かんだ句は我ながらありきたりの単語の羅列でしかありません。
やはり句は作るのではなく湧き上がるものなのでしょう。
今回の旅行で、句を詠むことができたらいいな、と思ってメモとペンを肌身離さず持ち歩きました。

(以下、太字は拙句です。おそまつ。)
【初日】

つくばマラソンから3週間、いよいよ12月16日がやってきました。
まず初日は東京発の新幹線で新山口に向かいます。
6時55分に家を出ました。曇ってます。
7時44分には東京駅のホームで新幹線を待っていました。
平日朝は空いているだろうと思いきや、指定席の隣にも客が乗り込んできました。
この人は広島で下りましたが、大阪は当然として広島も乗降客が多かった。

車内販売も期待できないし、途中で駅弁を買うのも無理そうだと知っていたので、東京駅で牛肉弁当を買い込んでおきました。


のぞみ15号 810発-1237着が入ってきました。
往復とも指定席で38640円でした。

久々の東海道新幹線、新横浜でもう社内はほぼ満席です。
新幹線の旅は思ったより快適でしたが、ただ足が寒かった。
つま先用のカイロを持ってきたのですが、それは網棚のカバンの中、隣に人がいるのでわざわざどいてもらうのが面倒で、そのまま寒さを我慢しました。

マラソンは二の次の旅は初めて、どんな旅になるんだろう。
窓から寒空に富士山が綺麗に見えていました。
途中で駅弁を食べ、広島駅を通過した付近で、白いものが・・・。
雪だ。
うわー、天気予報が今ひとつ良くなかったけど、雪か・・・。


新山口に着きました。


新山口駅、去って行く新幹線



新山口駅構内

東京から4時間半と長い移動時間でしたが、意外と疲れは感じません。
新山口駅と呼ぶより、小郡駅と呼んだ方が雰囲気が出ます。


駅前、雪はまだ降っていません。


山頭火らしく、徳利と傘。





観光案内。と言っても、あまりめぼしいものはない。


調べておいたコインロッカーに余分な荷物を入れて、リュックを背負うと雪がちらほら。
まずは其中庵(ごちゅうあん)に向かいます。

其中庵は山頭火が1932年(50歳)から6年間暮らした場所です。
新山口駅北口から歩いて行けると調べておいたので、それらしきところを歩いているうちに雪は強くなり風も出てきました。


白いものが見えますか?。雪です。

持ってきた折りたたみ傘をさしましたが、傘がひしゃげる程の風が出てきました。
場所が分からずさまよいましたが人も歩いておらず、まさか走っている車を止めて聞く訳にもいかず、ようやく見つけた人(ジュースの自販機に商品を詰めていた)に聞いても分からず、なんとか見つけたセブンイレブンの店員さんがようやく其中庵の場所を教えてくれました。
目印の郵便局のそばに郵便屋さんがいたので念のため聞いてみたら、
「え、それは食べ物屋さんですか?。 山頭火?、あー分からないです。」と、きっぱり。
意外と地元の人は知らないもんですね。

ようやく庵までの案内看板を見つけ、山頭火もかつて歩いたであろう道を歩きました。
道も家も当時とは様変わりしているでしょう。
でも、坂や山は当時のままのはずです。


ふるさとの ここにもそこにも家が建ち (山頭火)



水くんでくる 草の実ついてくる (山頭火)


ここを左に曲がる。


三日月の どこやら子供の声がする (山頭火)


お地蔵さまも お正月のお花 (山頭火)


灯ればしたしく隣があった (山頭火)


この柿の木が庵らしくする あるじとして (山頭火)


看板の指示通りに細い道を歩いたら、その先に其中庵が見えてきました。







まずは其中庵の隣にある其中庵公園を見ます。



母よ うどんそなへて わたくしもいただきます (山頭火)
(其中庵公園入り口の句碑)























公園内部の資料



横にある水琴窟の音を聞きましたが、うまく聞こえませんでした。


へうへうとして水を味わふ (山頭火)



そして、時々雪が降り凍る空気の中、再現した其中庵へ。
















こぢんまりした昔の家屋が再現されていました。 最初は外から見ていただけですが、そっと障子を開けると中に入れました。
天井には防犯センサーがあるのが現代を感じます。













位牌があり、行乞着が壁に掛けられ、裸電球。
当時を忠実に再現しています。












天井を見上げて撮影

















また雪が降ってきました。




雪まじりの12月の金曜日ですからあたりまえかもしれませんが、ここまで観光客は一人もいません。
しーんと静まりかえる冷たい空気、冷え切った畳。
しばし、その中に身を置き、当時を偲びます。
しばらくして外に出たら、また雪が降っていました。

雪ふる 其中庵に一人

(山頭火に和して)

冷たい畳の上で詠んだ句です。



障子の外は雪、静まりかえる冷たい空気の中に私一人。
寒さに震えながらも贅沢な時間を過ごすことができました。


あなたも見ていた山に雪降る


細いみち あなたに会いにゆく


山は変わらず 昔のままに







すぐそばには、当時使っていた井戸を再現したものがありました。




山頭火も見ていた裏山。




いつしか明けてゐる茶の花 (山頭火)



其中庵を後にした頃には雪はやんでいました。
新山口駅に戻り、1時間に2本しかない列車を待ちながら自販機のホットココアを飲みましたが、芯まで冷える寒さです。


ようやく来た電車。
赤いランプが着いているのは後ろ側の証拠です。
自動車と同じで、先頭(前)は白いランプ、後ろは赤いランプが点いていますが、これは全国共通です。


防府に着きました。
駅にはマラソンの看板がありました。



駅前のホテルの温泉(小さな湯ですが)で暖まったときは、生き返るようでした。
寒い一日でした。
でも、雪の小郡はいい思い出になりました。





ホテルの室内。
横が鏡なので広く見える。

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