****** 大会データ ****** ----- 大会寸評 ----- 歴史は古く実績もあるが、練習会に毛が生えた程度の大会。 古き時代のマラソン大会といった風情で、マンモスマラソン大会に慣れたランナーは面喰らうと思います。 時期的にも記録は望めず、色々覚悟して出るべき大会。 (私は好きですが) ----- 概要 ----- 種目:10km、ハーフ、フルマラソン。 最寄り駅:舎人ライナー 足立小台駅から徒歩12分。 スタート時刻:フルは9:30 参加者数:フル男子は468人だったようです。 完走率:不明。制限時間は長いが暑くなるのでそんなには高くない気がします。 制限時間:フルは6時間。 関門:あり。よほどじゃなければ気にしなくていいです。 参加資格:小学生以上。 ----- コース・計測 ----- 計測方式:J-chipという旨ゼッケン表面側につけた四角いタグ。 計測内容:中間点とフィニッシュのネット・グロスタイム。 記録検索:なし。 記録証:当日発行。 ペースセッター:なし。 ゼッケン枚数:1枚 ゼッケン番号順:たぶん申し込み順。 コース:荒川河川敷、江北橋の上流と下流へ10kmずつ。土手に上がる坂が2回ある。折り返しは上流と下流で計2箇所。ハーフのコースを2周回する。 コース上トイレ:既設のみ。 アップ場所:コース上でできます。 キロ表示:役2kmごと。 スタート順:先に並んだ順。争って先頭に陣取る人は少数です。 ロスタイム:数秒から1分程度。 給水:2.5kmごと、ただし水のみ。また水切れの恐れあり。河川敷の野球場などに既設水道があるが、一応区民以外は使っちゃいけないらしい。 スペシャル給水:なし。 給食:バナナ程度で数も行き渡らないので期待してはいけない。 私設エイド:ある時もあるけど・・・。まずない。 スポンジ:なし。 スタート前給水:なし。 ゴール後の飲食サービス:缶のポカリ、バナナ、リンゴ。 ----- 環境 ----- 声援:皆無だと思いましょう。 仮装:禁止ではないけど、いない。この時期うかつな仮装は命取りですよ。 参加賞:完走タオル、トートバッグ。 完走賞:なし。 参加費:5500円+手数料283円。 荷物預かり:あり(貴重品以外)。テントに置く程度。 着替え場所:あるらしい。 会場トイレ:仮設ちょっとだけあり。個室は混むし男女共用なので女性は可哀想。 プログラム:なし。ゼッケン引換ハガキのみ。 写真屋:なし。珍しいよね。 招待選手:いるはずもなく。 気温など:曇り。風は南2m、涼しい風だった。気温は19−21度、湿度80%。 6月にしては驚異的に走りやすい気候でした。 ----- 個人データ ----- 体重、食生活:前日の体重58.9kg、体脂肪11.5%。 相変わらず練習はイマイチ、長い距離は4月の長野マラソン以来。 Jins memeのおまけで貰った個人トレーナーの細野先生に上半身で走る方法を教わったので、それが生かせるか楽しみ。 ウエア:2016年長野マラソン参加証Tシャツ、アディダス黒ボックスランパン、高サポートソックス(紫)、ふくらはぎサポーター、リストバンド、ウエストバッグ、NB高機能帽子、シューズはイダテンダイナ2。 ダメージはマメはほぼなし、爪出血もほぼなし(数日後に右人差し指に小出血)。 太もも後ろ側にやや筋肉痛、フォームが改善されてきた証なので嬉しい。 |
【出場まで】 この大会に出るのは4年ぶりですが、その時は故障の真っ最中で4時間17分、練習並みのタイムでした。 あれから4年、一応怪我も癒えて8月の北海道マラソンに繋げるべく、練習代わりに出ました。 できれば3時間45分あたりで走れれば・・・などと夢想したのですが。 1月、3月と体調不良で不参加が続き、4月の長野は雨と風で罰ゲームのような天気、まあゼロから始めましょうという感じで出ました。 |
【レースの様子】 大会直前、一番仲良しだったマラソン仲間の訃報が飛び込んできました。 仲間が寄せ書きしたシャツをお別れに送ろうと提案してくれて、それに金曜日にメッセージを書きました。 ご家族の意向で家族葬で送るとのことで、残念ながらお別れには行けないようです。 家族葬は6日の日曜、この大会の日と聞いたので、せめてもの気持ちと思って故人が好きだった長野マラソンのTシャツを着て、左肩に喪章をつけて走ることにしました。 5時25分に起きました。 予報はどんどん悪くなり雨、気温は20度あたりで一定のようです。 涙雨か。 まあ、ピーカンよりはマシかと思い、傘を持って7時1分の電車で向かう。 7時42分には舎人ライナー足立小台駅着、8時6分には受付を終えて荷物をテントに置きました。 昔はバスじゃなきゃ来れなかったのですが、舎人ライナーができて便利になりました。 しかし人数が少ない。 雨のせいかと思ったら、どうも奥武蔵ウルトラと柴又ウルトラがかぶっているしょうです。 奥武蔵は昨年から6月開催になり、柴又ウルトラは数年前にできた大会です。 この時期にフルマラソンを走る人はウルトラの練習という人も多いので、たぶん両大会に相当ランナーを取られてしまったのでしょう。 主催者は寂しいだろうけど、この程度の人数じゃなきゃ給水などが貧弱なので、このままのほうが安全かな。 駅から会場までは傘をささないと嫌なぐらいの雨、トイレは個室がやや混んでいた。 できれば扉に大または小の張り紙が欲しいところです。 やがて雨は止み、最前列でラジオ体操をしました。 久々の参加ですが会長さんは相変わらず元気、前歯はだいぶ少なくなっていました。 スタート前の説明によると、野球場などの水道は区民だけが使えるそうで、トイレは使用許可を取っているとのことです。 給水は2.5kmおきと以前より増やしたようです。 かなり前からスタートしましたが、それでも邪魔にはならない感じの人数。 15分ずつ遅れてスタートするハーフと10kmのランナーなどが拍手で見送ってくれるのは美風でしょう。 レース自体はこれといって書くほどのものはなく、入りは5分15秒前後とまあまあ良かったが中盤以降は5分半から6分近くに落ちました。 雨はスタート前に止み、ずーっと曇りで風は涼しく走りやすい天気でした(6月にしては)。 なぜか下流側の折り返しからしばらくの区間は暑く、地形的に風が吹かないとか熱がこもるとかなのかもしれません。 人が人少ないせいか気温のせいか、給水はたっぷりありました(この大会にしては珍しい)。 私はこの大会では河川敷の水道から水を汲んで飲み、給水は取らないようにしています。 水切れの恐れが高いので、私が飲まなきゃ別のランナーに回せるからです。 でも今回は2回ほど頂きました(それでも水切れはなさそうだと読んだ)。 中盤以降は前にも横にも人がいない一人旅が続きます。 こんなまばらなマラソンは久しぶり。 こんな大会もいいもんだ。 なんと、個人エイドがありました。 一人だけの小さなエイドでしたが、ジュースやコーラを用意してくれていました。 きっとエイド主はランナーさんなのでしょう。 給食はバナナがありましたが、頂きませんでした。 終盤食べたかったけど、その頃には見当たらなくなっていました。 例年は水をかぶって冷やしながら走るのですが、今回は軽く背中にかぶる程度、もっと冷やせば良かったのかもしれません。 水は上流側土手下で2回汲んだが、かぶりはしなかった。 今年は涼しめだったので、そこまでしなくても済みました。 給水切れはなかったけど、人やコップを増やしたのではなく、単に参加者が少なくなったからだと思います。 人数は最後に出た4年前に比べ半減した感じでした。 ラスト10kmで失速した感じで足が動かなくなり、最後は心肺以前に全身状態がだいぶ限界でした。 ラストスパートもできず、でもまあ力は出し尽くした感じでゴール。 タイムは3時間49分でした。 心肺機能以前に足が動かなくなる傾向があり、鍛え不足なんでしょう。 それから38km付近で1回歩きました。 一応、飴補給の名目での短い歩きでしたが、これも珍しいことです。 補給食は持って走った塩キャラメル、塩熱サプリ、乾燥梅干などを取りました。 フィニッシュ後、完走証をもらいバナナと冷えたポカリ缶を一気飲み、頂いたりんごは家で食べました。 力は出し切ったけど3時間49分じゃねぇ、と思ったのですが、家に帰って調べたら一応コースベストでした。 うーん。悪くはないのかなぁ。 ダメージで太ももの裏側に弱い筋肉痛がありましたが、これは場所的にいいフォームになってきた証なので次には繋がりそうです。 4時間は切れるが3時間45分は切れないおなじみのタイムで終わりましたが、このあたりが実力なのでしょう。 それならばシューズはイダテンよりゲルフェザーグライドに落としたほうがいいかもしれません。 そういうことも含めて、収穫はあった大会・・・だと思います。 フィニッシュしてから携帯を見たら、亡くなったマラソン仲間のお通夜が今夜で、家族葬ではないので我々も参列できるとのメールが入っていました。 急いで帰ってシャワー浴びて着替えて、お通夜と翌日の告別式に参列してきました。 お別れができてよかった、亡くなったことは悲しいけどせめて最後のお別れができてよかった。 もう私にはご冥福をお祈りすることしかできません。 以前から4時間弱程度のタイムしか出せないなら大会は引退しようと考えていました。 でも、それは不遜な考えじゃないかという気がしてきました。 軽々に引退などと口にするもんじゃない、そんな気がしています。 無様なタイムで虚しさしか感じられなくなっても、それでも走るほうが正しいのかもしれません。 つまらん美学などにこだわるのってどうよ、という気がしてきました。 追記: 亡くなったことは、ネット上では伏せられていました。 家族葬と伝わっていたこと、ご家族がネットでの拡散を希望されていないようだということもあって、だれも言及しませんでした。 この大会の完走記では亡くなったことに触れないわけにはいかない、という私の勝手な気持ちがあって、6月の大会直後に作ってから今まで公開せずにいました。 個人名も何も書いていないけど、私を知っている人が読めば誰が亡くなったのか分かってしまう恐れがあるからです。 情報をオープンにしてもいい日が来るまで公開は控えました。 先日、ご家族の方がフェイスブック上で亡くなったことを公開しました。 年賀欠礼ハガキを出す時期になったからなのか、あるいはご家族の心が少しだけ落ち着いてきたからなのか。 (後者であってほしいが) それを受けて、追記という形で補足説明を加えて公開することにしました。 私は3年間の脚の故障中、何度も引退を考えました。 趣味のマラソンランナーが引退など片腹痛いのですが、自分なりに10年以上真面目にマラソンに取り組んできたので、辞めるのであれば区切りをつけたかったのです。 しかし、辞めるならどこかを引退レースにしよう、どうせ出るなら少しでも練習を、でも足が言うことを聞かない・・・ということの繰り返しでした。 結局、脚は何とか治り復帰できましたが、いまだに自己ベストより30分以上遅いという不本意なマラソンしかできません。 しかし、私は引退はしない。 そう決めました。 どんなに無様なレースしかできなくなっても、それでもドクターストップがかかるか関門が通過できなくなるまでランナーとして走り続けます。 苦しむことを楽しもうと思うのです。 命ある限り。 平成28年11月19日 記 |
【写真と記録】 タイム(距離が不正確なので、数字だけ書いておきます) 10:30 10:25 10:31 10:50 10:25 10:41 10:36 10:47 11:15 27:21 10:31 10:51 10:54 10:43 10:55 11:09 11:29 11:52 17:24 GOAL 3:49:24(ネットタイム) 会場に向かう道、雨です。 大会ののぼりが立っています。 遠くにスタートのドームが見えます。 ちと早めに着いたとはいえ、雨とはいえ、人少ない。 荷物テントから見たスタートライン(手前の四角いドーム)、ゴールライン(奥の小さい半円ドーム)。 右(下流)に向かって駅走り下流側折り返しからここに戻り、上流側の折り返しからここに戻るのがハーフ、フルはこれを2周回します。 橋の下に雨宿りするランナーが。 人が少ないなー。 ここからはフィニッシュ後です。 左のテントが乾燥症の発行所です。 その右側には缶のポカリとバナナとリンゴを渡してくれて、数は少ないけどベンチもあります。 これ、すべて4時間弱でフィニッシュしてからさして時間が経っていない時点の風景ですよ。 いかに人が少ないかがわかります。 ゴールゲート。 たぶんスタートから4時間20分ぐらい。 まだレース中のゴールゲートがこの状態です。 ゴール目指すランナーが見えますが、少なさがわかりますね。 喪章をつけて追悼しながら走りました。 ゼッケン、参加賞のトートバッグ、タオル。 タオルは安物で薄くて実用性は薄いものです。 トートバッグは三色から選べました。 以前のものより大きくなりました。 開催日等が書いてないので、たぶん来年以降も使い回すと思います。 それもまたこの大会らしい感じです。 |