<12月5日 日曜日(大会日)> ホテルにて、はじマラのぼりと当日のシャツ。 綺麗に見える部屋だけど床は足の踏み場もないほど荷物が散乱してます。 いよいよ、というよりも、ようやく大会当日になりました。 モーニングコールの前に目が覚めましたが別に緊張している訳でもなく、体調は最高です。 朝食なしのツアーを選びましたが、ここのホテルは朝食がサービスで出るので、実質的には朝食付きです。 マラソンに合わせて朝食時間も普段よりも早い時間からになっていましたが、それよりも早く目覚めたのでテレビをみながら缶コーヒーと昨日コンビニで買った菓子パンを少し食べ、ベッドの上でかるく腹筋。 ここまで来ても、まだどんな走り方をするか決めていませんでしたが、もう走れれば(完走できれば)それでいいという心境です。 こんな気持ちになったのも、南国の空気のせいかな。 朝食はホテルの1階で、おにぎりと漬物が数種類、みそ汁、お茶、コーヒーで、取り放題。 沖縄名物の油味噌のおにぎりがあったのですが、食べ損ねました。 大会の朝は、いつもならお腹一杯食べるのですが、この大会は私設エイドが楽しみなので、ちょっと控えめに食べて、さあ出発の時間です。 まるこふさん、Tokkiさんと3人で表に出ると、あんなに心配した台風はどこへやら、もう絶好のマラソン日和になる予感。 ちょっと風はあるものの沖縄にしては走りやすそうな気温、本気で走りたくなる天気です。 会場にはツアー会社のテントがあって、荷物はそこに預けられるし飲み物はあるし、ツアーならではの親切さです。 受付は前日に済ませているし、当然ゼッケンもシャツに付けているし、ホテルから会場までは歩いて10分ぐらいだし、シューズに付けるチップではなくゼッケンに付いている発振器なので、会場ではもうすることがありませんから、非常に気が楽です。 ゼッケンにはスポンサー名が入っているのはどの大会も同じです。 胸と背の2枚ゼッケンの大会で、胸と背のスポンサー名が違う大会には出た事がありますが、ここの大会は数種類のスポンサー名ゼッケンが混在しているのが面白い。 わたしはりゅうぎん(琉球銀行)でローカルな感じのスポンサー名で嬉しかったけど、人によっては全労済などの全国区企業(団体)も大勢いました。 やっぱりNTTドゥとか全労済のゼッケンが目立ちましたので、たぶんスポンサーの金額とゼッケンの枚数は比例しているんじゃないかと思います。 会場で20回大会記念の泡盛を買ったりしているうちに、いよいよスタートの時間です。 トイレに行きたかったけど、どうせ途中で1回は行くし、今回は完走できればタイムはどうでもいいので、尿意を感じながらゼッケン順に並びました。 結局私ははこさんと一緒に走ることにしました。 25000人のエントリーで、私は7900番台。 前も後ろも凄い数のランナーです。 凄い数のランナーを見て下さい。 これでもゼッケンは前の方(7900番台)です。 出走者は2万人を超えていますので、後ろはもっと多い。 ちょっと降りそうな空の色、スタート前に少しだけ雨がぱらつきました。 それ以外は一滴も降りませんでした。 風はありましたが私は気にならなかった。 |
開会宣言に続きサンプラザ中野さんの挨拶(ランナーとして走るも途中リタイヤだったそうです)のあと、10秒前から全員でカウントダウン!。 そして、号砲ではなく平和の鐘が鳴った・・・ハズなのですが、なにしろスタートラインは遠くて全く聞こえません。そのかわり花火が上がったけど。 平和を祈る意味で号砲のピストルはそぐわしくないとの理由で、数年前から鐘に変更になったそうです。 いよいよ、ようやく、ついに、NAHAマラソンが始まりました。 フルでは高校生参加不可の大会も多いけど、この大会は参加オッケーということもあって、若いランナーも多く見られます。 スタートラインでスターターの宮里美香さん(中学生女子ゴルファー)やミスの方々を走りながら撮影して、マラソンの開始です。 宮崎さん ミスのみなさん 走りながら撮った割にはうまく写せた 私のいでたちは、ボックスランパンに深紅のTシャツ、帽子、そしてウエストバッグにデジカメと手ぬぐいです。 手ぬぐいは、サータアンダギーとかの私設エイドの食べ物で手がベトつくだろうから、手ふきとして持参しました。 あと、今日の気温なら大丈夫だろうけど、気温が上がった時は水で濡らして頭からかぶると、かなり涼しくなります(首筋もガードできる)。 たぶん、多くの人がタオルと勘違いしているでしょうけど、タオルではなく和製手ぬぐいです。 薄手の生地で、両端は切りっぱなしで縫っていません。 縫っていないからこそ、そこから簡単に裂くことができて、いざというときはヒモのように細く裂けます。 かさばらないし、ウエストバッグを持って走る人にはオススメグッズですよ。 |
さて、マラソンですが、スタートしてから国際通りに入ります。 私は昨日沖縄に着いてから、会場とホテル周辺しか移動していなかったので、ここから先は全て初めて見る景色になります。 国際通り。 お土産屋のメッカ。 ここでも凄い数のランナー。 一緒に走ったはこさんによると、ずーっと混雑してペースは上がらないみたいだし、もう完走だけが目的なので、とりあえず11kmまで一緒に走ることにしました。 最後まで一緒でもいいのですが早くもトイレに行きたかったので、11kmでトイレタイムを入れるまでは一緒に走ることにしました。 はこさんの観光ガイドを聞きながらの走りは楽しかった。 ランナーが多すぎてペースが遅かったけど、それすらも楽しめた。 5時間ペース、キロ7分で走り続けましたが、それでもランナーを追い抜く事があるほどのスローペースで流れていきます。 もちろん、もっと早いペースで追い抜いていく人もいましたが、ほんの少数。 やがて5kmの給水を飲んで、いつもならエンジンがかかってくる距離ですが、今回はまったりと話しながら走り続けました。 こんなジョグみたいなペースのマラソンもいいなぁ。 腕時計には5時間でゴールするペースとセットしました。 1kmごとにラップボタンを押せば、5時間でゴールするペースとの差を表示してくれるのですが、ほぼ5時間ペースで走り続けました。 今回は5時間ぐらいでゴールしようかな。そんな気分でした 何キロか忘れましたが、途中から1車線と狭くなったこともあって、10kmを過ぎてもバラけるどころか前も後ろも横もランナーだらけ。 噂通り、自己ベストを狙う大会ではありません。 早くも上り坂で歩いているランナーもいましたが、我々は順調にキロ7分ペースで走りました。 そろそろ尿意が限界になってきたのですが、なにしろ沿道の応援が多いから立ちションする場所がなかなか見つからないし、トイレを探しながら走っていると道ばたに立ちションポイントがあり、数人のランナーがいました。 マナー違反ではありますが、ランナーの多さを考えると、どこのトイレも混雑しているでしょうし、道ばたで失礼しました。 かなり我慢していたのでスッキリしましたが、大幅にはこさんから遅れてしまいました。 混み合うコースを縫うようにして走り続け、なんとかはこさんに追い付き、また一緒に走りました。 噂通り、私設エイドの数と沿道の応援の多さは凄かった。 私設エイドといっても、テーブルを出しての本格的なものから、お盆に塩や黒糖などを乗せただけの小規模なもの、さらにはコンビニのおにぎりを1コだけ持って差し出している人など、それぞれが思い思いの応援をしていて、楽しかった。 小さな子供が小さい手で飴玉を握りしめている可愛いエイドがあちこちにありました。 鉄腕アトムの歌を歌い続けて応援する不思議な人。 私はサータアンダギー(沖縄の油菓子)とソーキソバエイドが楽しみでしたが、サータアンダギーは思ったよりも見かけなかった。 ソーキソバは、はこさんが一緒だったので確実にゲットできました。 ただ、そこで写真を撮っているうちにはこさんとはぐれてしまい、あわてて追い掛けたらひめゆりの塔を通り過ぎてしまい、お参りできませんでした。 ソーキソバ。 塩味強めの味付けが美味しかった。 しかし、中間点を通過したのに、21kmも走っているのに、まだランナーはバラけません。 さすが参加者日本一。 |
25km付近ではこさんと別れ、ここからは一人旅に切り替えました。 ジョグペースでゴールするのも楽しそうだけど、大勢の沿道の人達を見ているうちに本気で走るのもまた礼儀じゃないかな、と思えてきたので、気持ちを切り替えました。 相変わらずペースは遅く混雑しているので走りづらかったけど、隙間を見つけては前に出ました。 エイサー(沖縄の踊り)を踊りながら応援してくれる場所が何カ所もありましたが、そのうちの1つに可愛い子がいたので(笑)手を振ったら、おもいっきりの笑顔で答えてくれました。 それを見た時に、今年一年のいろいろなことや、この大会に本当に多くの人達が様々な形でかかわっていて、その人達のおかげで走れることなど、なんだか色々なことが頭の中をよぎって、恥ずかしながらちょっと胸が熱くなりました。 25kmまでまったり走っていたので体は余裕がありましたが、これが最初から頑張って走っている状態だったら泣いちゃったかも。 あちこちで塩やら水やらフルーツやらを頂きながら走りました。 35km(たしか)を過ぎてからは2車線になってようやく走りやすくなりました。 ちょっとびっくりしたのは、コースの横を走っていた車が信号待ちで止まったとたんに後ろの窓が開いて、中から白人の女の子がペットボトルを差し出していました。 普通のペットボトルではなく、スペシャルドリンクホルダーみたいな入れ物に入っていましたので、明らかにマラソンの応援用に用意したものでした。 こんな形で参加するというのも NAHAマラソンならでは、なのでしょうね。 エードといえば左側ですが、この車エイドはランナーの右側からでした。 25kmまでまったり走ったとはいえ、やはり42kmは遠く長い。 さすがに最後はキツくなってきましたが、なんだかゴールするのが勿体ないと感じたのははじめてです。 噛み締めるように走っているうちに、競技場が近付いてきました。 沿道で応援している地元高校生に手を振りながら競技場に入って、フィニッシュ。 タイムは4時間32分でしたが、タイムはどうでもいいんです。 ゴールしてから完走証を受取るのですが、完走証の発行所が混んでいたのと、ちょっと脱水ぎみの感じがしたので係の人に給水できるか聞いたら、先にある給水所に行ってくださいと言われました。 順番では完走証を先に貰うのですが、順番は違ってもかまわないと言ってくれたので、先に給水に向かったら、その手前で完走メダルを貰っちゃいました。 え、もう貰っちゃっていいの?、と戸惑いながら、あこがれの琉球ガラスのメダルをいただきました。 公式ホームページによると、この完走メダルは年によってデザインや材質までもが変わるのですが、私は水色の琉球ガラスのメダルが欲しいとずっと前から思っていたので、今年のメダルが水色のガラス製だったのが本当に嬉しかった。 (昨年と同じ形だったようです。2年連続参加の方はちょっとガッカリだったかも) 給水してから戻って完走証を頂き、ツアーテントに戻りました。 この大会は私設エイドが多い(たぶん日本一)事で有名ですが、初心者の割合も日本一だと思います。 私は4時間半でゴールしたのですが、このタイムでも順位は上位25%と、かなりの良い位置。 初心者が多く参加者も1万数千人規模の荒川市民マラソンでも、4時間半なら中間あたりの順位だと思います。 それだけこの大会はペースが遅いということですね。 5時間を過ぎて、はこさんとランナースさんがゴールする予定のタイムになってきたので、数人で競技場入り口に出迎えに行きました。 制限時間6時間の大会でも、だいたい4時間半あたりでフィニッシュするランナーが割合としては一番多いようですが、この大会は違いました。 5時間を過ぎてもランナーがうじゃうじゃ。 NAHAマラソンならではの光景でした。 |
5時間以降にゴールしたランナーは完走証発行のトラブルでメダルは後日郵送になるトラブルもありましたが、それ以外は無事終了。 はじマラメンバーも無事全員ゴールしたので、私は一旦ホテルに戻って軽くシャワーを浴びました。 沖縄といっても12月、さすがに半袖のシャツでは夕方や夜は冷えます。 会場に半袖しか持っていかなかったので走った後は寒かった。 シャワーを浴びた後、一人で国際通りに出かけました。そうです。お土産探しです。 事前に調べていたので買う店も買う物も決めていたのですが、結局あちこちの店をうろついちゃいました。 前もって聞いていた通り、完走メダルを持っていると5%引きという店もあって、店によっては5%引きのうえに粗品プレゼントという店もありました。 ちなみに、今回は縁がなかったのですが「夜のお楽しみ」方面ではもっと割り引いてくれるとか。 お土産で唯一こだわっていたのが茶受け味噌。 友人からのリクエストで、甘くて麦味噌で、おやつに食べる味噌を買ってきてと頼まれていたので、探した探した。 有名な油味噌(沖縄ではおにぎりに入れたりする甘い味噌)ではないようなので、いなむどぅちという料理用の味噌だと思ってその味噌を探したのですが、全く見当たりません。 店の人に聞いても首をかしげるばかりでさっぱり分らず、結局公設市場の中でようやく2袋買えました。 後日談ですが、友人が欲しがっていた味噌は、この味噌ではありませんでした。 どうやら奄美付近限定の家庭料理らしく、お土産屋はもちろん普通のスーパーで売っているものではなく、家庭で作るもののようです。しかも、あまり一般的な料理じゃないようです。 来年までに調べて、来年はゲットしたいものです。 ようやくお土産も買い揃えて、昨夜予約した店(店名:まんじゅまい=パパイヤの方言、かなり有名な店らしい)に集合して反省会を行いました。 いなむどぅちという料理(甘みそで作ったトン汁のような料理)を食べたかったのですが、残念ながらメニューにのっていませんでした。 沖縄料理は好き嫌いが分かれる食材が多くて苦手な人もいますが、どの料理もクセは少なく美味しかった。 本場のゴーヤチャンプルー、ミミガー、ラフテーなど、どれも美味しかった。 特に豚足の煮付けはプルプルの食感といい味といい、絶品でした。 こういった料理は店によって美味しさがかなり違う(居酒屋のモツ煮込みが良い例)ので、来年もまたここで食べたい。 たらふく飲んで(酒は止めたので私はウーロン茶)喰って、大満足の夜でした。 翌朝、私達のホテルのロビーに集合してから、私達3人は帰りの飛行機が早いので残念ながら全く観光できずに空港へ向かいました。 今回のツアーの最大の難点は遅い到着で早い出発でした。 あまり観光には興味のない私ですが、青い海を味わいたかった。 一番綺麗に見えた海が帰りの空港からというのも皮肉です。 空港から海を望む 帰りの飛行機は出発がちょっと遅れましたが揺れも少なく、快適に羽田に戻ってこれました(でも、まだちょっと飛行機は恐いけど)。 (行きはボーイング777、帰りは747でしたが、帰りの飛行機はけっこう古かった) 20回記念大会で過去最大のエントリー者(25000人!)があった大会、12月なのに台風で中止も検討される波瀾の大会になりましたが、結果的には無事に終了しました。 地元の方々、関係者・ボランティアの方々、ありがとうございました。 また1年頑張って、この大会を自分への御褒美にしたいと思います。 あー、楽しかった♪ |