2005青梅マラソン



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マラソン大会に出始めた時、周囲の人から「マラソン始めたんだって?。青梅とかホノルルを目指すの?」と、必ず言われました。
青梅は、最近でこそ予選落ちする人は少ない(いない)ようですが、仮申し込みの後に抽選をして、当選した人だけ出られるほどの人気大会で、定員はフル12000人、10kmは3000人です。
(青梅マラソンと言いながら、最長でも30kmです)

私にとって、NAHAと青梅はちょっと特別の位置付けで、NAHAは憧れの大会、青梅は毛嫌いしながらも、ここまでマラソンにズッポリはまった以上は1度は出ないと気が済まない大会でした。
でも、よーく考えると、この大会って微妙にハードルが高いんですよね。
制限時間は3時間半。
青梅は参加者が多いのでロスタイムを15分と見て(実際は最後尾でも7分8秒だった)、30kmを3時間15分以内で走れなければアウト。
しかも、市街地や河川敷と違って奥多摩の峠道ですから坂が多い。
まあ、峠道と言っても奥多摩(青梅街道)の奥まった場所ではないから、そんな急坂ではないけど、それでも楽なコースじゃありません。
(若かりし頃、さんざん単車で走った場所なので、だいたい憶えている)
幸い、昨年11月の渡良瀬の30km地点のタイムが2時間51分、1月の勝田の30km地点が2時間41分と、最近スピードアップしてきたので、アップダウンのあるコースを考えても完走は間違いなさそうです(フルより12km短いし)。

今回はタイムは意識せずに歴史と人気のある大会を満喫するつもりで参加しました。
青梅というより、私にとっては奥多摩と言った方がなじみがあって、若かりし頃に単車で何回も走った場所です。
その道路を、40才過ぎた今、自分の足で(しかも30kmも)走るなんて。
あの頃はマラソンをするなんて想像もしませんでした。
人生って分らないものですね。
予報では当日は晴れるはずでした。
晴れる事を信じて、と言うか雨が降るなどとは全く考えもせず、傘を持たずに家を出ました。 外に出ると道路は濡れていて、たった今、雨が上がったばかりでした。
8時15分に新宿着、8時26分発の中央線特別快速で立川着が8時53分、同じホームから出る青梅線に8時55分発に乗り換えて、河辺(かべ)駅に着いたのが9時21分でした。
途中、立川の手前あたりから雨が降ってきて、どうも止みそうにないような空の色です。
10時スタートの10kmに出た人は雨に祟られたなぁ、と思いながらも、まあスタートまでにはやむと信じていました。
さすが青梅マラソンだな、と思ったのは、青梅線の車中で
「青梅マラソン参加の皆さん、奥多摩の渓谷を楽しみながらゴールを目指して頑張って下さい」
というアナウンスが流れたことです。
さすが青梅というべきか、JRも民営化されて変わったというべきか。


河辺(かべ)駅



河辺(かべ)駅を降りると小雨でしたが傘はいらない程度でした。
そういえばパンフレットも貰っていないし、会場の場所もなにも全く分りませんが、まあこれだけのマンモス大会なら迷う心配はないだろうと思った通り、駅を降りてランナー達の列についていったら受付場所に着いたし、そこからまたランナーの流れに乗って歩いたら、なにやら着替え場所のような建物に着きました(体育館でした)。

受け付け。ここから歩いて数分のところに体育館がある



体育館は、ゼッケンを見せないと中に入れないので付き添いの人は入れません。
入ると暖房が効いていて、居心地良さそうです。
私がたどりついたのは体育館の中ではなく通路。
すでにあちこちで陣取っているので、とりあえずシートを広げて陣地を確保しました。
誰とも合流する予定はないのですが、たぶん、おそらく、きっと誰か1人ぐらいは合流してくれると信じて(汗)、一人では大きすぎるシートを敷きました。
場所的には柱の陰と言った微妙にセンスのない場所でしたが、人気のあった壁際よりも結果的には居心地良かった。
壁際はレース後に救護用機材の搬送路になっていました。
でも、それなら通路部分として確保するところにはテープでも貼るとかして初めから陣地設営させないような管理が必要だと思うけどなー。
まあ、レース後半に雨が降ってきたので教護所の場所を急遽変更したのかもしれませんが。

まだ、この時点ではさほど混雑していなかったので、のんびりと助六弁当を食べました。
まだ10時前ですし、30kmのスタートは12時なので2時間もあります。
やがて、たかさんから電話が来ましたが、流れに乗ってこの建物に来ちゃったので、なんの建物なのか自分で分かっていなくて、うまく場所が説明できませんでした。
周囲の人に聞くと、どうやら体育館でいいようです。
なんとか無事にたかさんと合流、やがてマサさんとも合流して、マサさんからスタート時間が遅いので事前のエネルギー補給が大切と聞き、ミニ大福餅を2つほど食べました。

私は下をロングタイツにしましたが、上は長袖にするか長袖+半袖の重ね着にするか散々まよって、3回もゼッケンを付けたり外したりしました。
結局2枚がさねに決定しましたが、これが私のペースでは正解でした。

タイム計測は胸の発振器(ニシスポーツの発振器)でネット計測もありました。
ちなみに15km以降は5kmごとにゴールまでスプリットタイムを計測してくれます(途中のタイムは報知のホームページ上でのみ発表され、完走証にはゴールタイム(グロス、ネット)のみが記載されていた)。
キロ表示は1kmごとと親切。
参加賞のシャツですが、なぜか男性はみんなLサイズでした(言えば替えてくれるそうですが)。
(綿100%のシャツなので、私はイマイチ嬉しくない)
話しは前後しますが荷物預かりはありません。
体育館の建物内で陣地を設営できた我々は、そこに置いていきました。
(一応、この建物に入るにはゼッケンチェックがあるのでランナーと関係者以外は入れないから、多少は安心。でも盗難の恐れがない訳じゃない。)
有料で預かってくれるサービスというか商売(500円〜600円らしい)もあって、荷物だけではなくトイレも借りられるそうなので、そっちの方も選択肢に入れた方が良いかもしれません。


体育館出口。いや、入り口かな。



さてさて、やがて時間が近付いてきました。
軽くストレッチをしただけで、全くアップはしませんでした。
時間はあったのですが、まあ2時間50分程度で走れれば(注:フルではなく30kmです)良いと思っていたので甘く見ていました。
プラカードの通りにキッチリとゼッケンごとに整列しているのが、この大会らしいです。
仮装禁止だし、なにかと堅苦しいという噂通り、随所に陸連臭さ(失礼)というかなんというか、そんな雰囲気が微妙に感じられる大会でしたが、スタート風景もそれを表しているような気がします。
(別に不愉快な思いはしなかったが)

スタート前に緊急事態発生の場合の訓練があったりしましたが、私は自分のゼッケン位置に移動するのに忙しく、なにも聞いていませんでした。っていうか、ほとんどの人が聞いちゃいないって感じでしたが。


スタート前。ランナーだらけ。



そして、号砲。
私にとっては勝負大会ではないのでプレッシャーもなく、デジカメ片手に走り出しました。
私のゼッケンは6500番台、スタートまで4分20秒。最後方でも7分8秒だったそうです。
人数の割にロスタイムが少ないけど、これは制限時間3時間半ということでランナーのレベルが比較的高くレースに慣れている(少なくとも青梅が初の大会という人は少ないだろう)ことと、ゼッケン順に整列させるプラカードの数字の刻みが細かい(200番ごと)のでランナーの密度がうまくばらけるのが理由のようです。
スタートラインまで結構な距離がありましたが、号砲と同時に小走りになる程で、マンモス大会にありがちな号砲からスタートラインまでは歩いてお散歩、ということはありませんでした。

今回のスターターは瀬古監督。
昨年までは長嶋さんで、スタートラインでは長嶋さん見たさに「長嶋渋滞」があったそうです。
瀬古さんは手を振れば答えてくれるし、何度もエールを送ってくれるし、なかなかの盛り上げ名人でした。
「みんなー、ハ○スのカレーは食べちゃだめだぞおー」などと言ったりして、お茶目で楽しかった。
(スピーカーがスタートラインを過ぎてからもけっこう設置してあって、瀬古さんの声がスタートラインを過ぎてもよく聞こえました)



瀬古監督




芸能人が数人出ていると聞いていましたが、そのうちの一人はハマジュンだそうで、私は浜村純だとばっかり思い込んでいました。
ハマジュンとは近いゼッケンだったらしく、スタート直後に周囲から「ハマジュンだ」という声が聞こえましたが、振り向いてまで浜村純を見てもねぇ、と思って見向きもしませんでした。
後で知ったのですが、ハマジュンは濱口順子という若い女の子だったそうです。そんなら見れば良かった(^^;。
ちなみに日本テレビ系で日曜昼放送の@サプリという番組の企画で、濱口さんは無事完走、もう一人出ていたお笑いの男の人は17kmでリタイヤでした。
私の方ですが、最初の1kmは6分11秒、途中立ち止まりそうになるほどスローダウンするなど、とても記録は狙えない大会だと感じました。

松村和子(三味線をひきながら歌っていた人、ちなみに三味線はひけなくて、ひいたふりだったそうです。余談だ。)の唯一のヒット曲「帰ってこいよ」のサビの部分だけを繰り返し架けている応援ポイント(たしか2km)も無事通過しました。
私ですら知っている程有名なので、初めてという気がしなくてなんだか勿体なかった気もします。
復路ではマツケンサンバをかけて応援してくれていました。
昔、単車で走った道ということもあって、正直景色は楽しめませんでした。
なにしろ、もう記憶しきっているので昔の記憶を確認するという感じです。
それでも、昔を思い出しながら写真を取りながらまったりと走りました。
10kmまでは給水は無いと聞いていたのですが、途中でありました。たぶん私設給水なんでしょうが、結局最後までどれが公設給水か私設給水かよくわかりませんでした。



何キロか不明です


先の方までランナーだらけ


応援風景地味版。


応援風景団体版


復路のランナーがいるので、たぶん10km過ぎあたりかな
相変わらず混雑して走りづらい



奥多摩の渓谷と電信柱。




14kmあたりで谷川真理さんらしき女性をみかけてびっくりしました。
後で聞いたら、例の芸能人の応援に来ていたそうです。
折り返しまでに、数カ所の立ちションポイントがあったのですが、30kmならトイレ休憩なしでも行けそうと考えつつ、トイレタイミングに悩みました。
相変わらず人数が多くて走りやすいとは言えません。
景色を撮影しながら走っていたのですが、13kmあたりから余裕がなくなってきました。
折り返しを過ぎたあたりから、多少混雑は緩和されてきましたが、このあたりから1月の勝田全国マラソンで痛めた右足の甲が痛みだし、それをかばっているらしく左ひざも痛み出しました(最近はこの2つがセットで痛い)。
まあ、あと半分なので痛みと付き合いながら走れば良いと思っているうちに、どんどん足ではなく体がしんどくなってきました。
やがて17km付近で妙な寒気がして体が冷えてきましたのでペースダウン。
あわててウエストバッグからチョコと飴玉でエネルギー補給しつつ微妙にペースを落としたり上げたりして様子を見ていたのですが、結局20kmでトイレ休憩をして気分転換としました(この時、腰に付けていた愛用の手ぬぐいを落としちゃった)。


傾向として、行きは登り、帰りは下りです。
いかに後半バテたかがグラフにするとよく分ります。



折り返し以降は沿道の私設エイドも多く、特に氷砂糖は多かった。パンもあったけど私がたどり着いたときにはわずかしか残っていなかった。
あとは、うめぼし、レモン、せんべい、あめ、暖かい麦茶、など。
小さな子供の可愛いプチエイドも沢山あって、沿道の方々も楽しんでいるようで嬉しいです。
トイレ休憩で気分をリセットしてしばらくは持ち直したのですが、その後、なんと走りながら奇妙な眠気を感じるという、なんとも信じられない体験をしてしまい、寒気も襲ってくるし、もう最悪。
体がキツい。
足は動くが意識が持たない。
給水ごとにたっぷりと水分補給をして飴玉や氷砂糖をなめながら、ヘロヘロで走りました。
最後の2kmは雨も降ってきて、ゴールにたどり着くのが精一杯。
楽しんで走るどころじゃありませんでした。
折り返し以降は写真を撮る余裕もありませんでした。
最後の1kmがこんな長く感じるとは・・・。
今までで一番辛い大会になりました。

なんとかフィニッシュ、自分で発振器を外す元気もなくボランティアさんに外してもらいました。
完走証(完走者だけが貰える、自分で名前を書くB5サイズの紙。後日タイムの書いた完走ハガキと記録集の本も送られてくるそうです)を受取り、アミノバイタル(ペットボトルではなくレトルト食品みたいな容器に入ったヤツ)をいただき、おにぎりもいただきました。
(おにぎりは新潟かどこかがスポンサーらしい。手作りではなくコンビニで売っているのと同じもの。)
小雨の中、早くおにぎりがたべたくて、と言うか水分とエネルギーを補給しないと体がヤバかったので体育館につくなりシートの上にへたりこみました。
なんで、こんなにバテたんだろう。
水分補給は充分にしていたはずで、汚い話しですがスタート前にトイレに行った時もレース後も大量に出ましたし、途中の給水は全ていただきました。
エネルギーも朝からちゃんと食事したし、足りているハズだが。

ここまでしんどい大会になるとは想像もしませんでした。
なにが原因なのか分りません。
坂でバテたとも思えないし。

結局、アフターも辞退してなんとか自宅にたどり着きました。
本当にしんどかった。

参加賞のシャツがサイズ違いだったので交換したかったのですがそんな気力もなく、スポーツ報知の有料記念撮影サービスに立ち寄る元気もありませんでした。
(スポーツ新聞の1面に自分の写真が入ったようなレイアウトで、A3サイズ。実は欲しかったけどそんな気力は残ってなかった。)

駅はすごく混んでましたが混雑は改札までで、ホームや車中は空いていました。
初フルよりもシンドい大会でした。
トホホ。
   はじマラBBS


かめ
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