第44回 高島平ロードレース(2019年10月20日 20km)

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****** 大会データ ******

----- 大会寸評 -----
一般的な市民マラソンとは一線を画す競技色豊かな大会。
市民マラソンではなく学生のための記録会的な性格が強く、表彰部門に大学生の部があることもそれを裏付ける。
制限時間も厳し目で高校生や大学生が多く、当然仮装などは禁止。
大会をお祭り感覚で楽しむ向きはお呼びでない、かなり硬派の大会。
好き嫌いは極端に分かれるが、遅くても競技者としての矜持があるなら一度は出たい大会。
ハーフマラソンではなく20kmという距離もこの大会らしいこだわりを感じる。

----- 概要 -----

種目:5km、10km、20km
最寄り駅:都営三田線 高島平駅から徒歩5分程度、駅のホームからコースが見えます。
スタート時刻:20kmの部は8:30と早め。
参加者数:参加者数:定員 20kmと10kmは各600人、5kmは400人。
完走率:不明。
制限時間:20kmの部は100分。
関門:20kmの部は15km地点73分。
制限時間より早いペースで走らないとクリアできないので要注意。
参加資格:15歳以上(中学生除く)。
受付方法:当日受付のみ。

----- コース・計測 -----

計測方式:ランナーズRTチップ、一般の部も左右につける。
計測内容:フィニッシュのみ、ネットタイム計測なし。
今時の大会にしては不親切ですが、これもまたこの大会らしいかも。
記録検索:なし。2日後に板橋体育協会のHPに完走者リストがupされていました。
それ以外の記録検索はなし。
記録証:当日発行、昔は後日ハガキタイプが郵送でしたが当日発行でサイズもA4になりました。クリアファイル付きと親切。
ペースセッター:なし
ゼッケン枚数:全員2枚
ゼッケン番号順:不明

コース:旧 板橋区立高島第七小学校前をスタート、四角い周回コース(5km)を20kmは4周回。
高低差はほぼゼロ。
コース上トイレ:仮設トイレがあったけど、立ち寄るようでは完走はできません。
アップ場所:高島五小(男子更衣室もここ)と赤塚公園。
キロ表示:一周5kmのコースですが、あと3km、2km、1kmの表示があります。

スタート順:持ちタイム順のプラカードに並ぶ。最後尾は1時間20分超。
ロスタイム:最終ブロックの一つ前で22秒。
給水:スタートの先約100m地点のみ。20kmは3回給水できる。テーブルは4つと昔より増えた。水のみ。
スペシャル給水:なし
給食:なし
私設エイド:皆無。本格派の大会なのであっても困るし(助力は禁止)、立ち寄っている時間がない。
スポンジ:なし
スタート前給水給食:なし。でも学校跡地なので水飲み場があります。
ゴール後の飲食サービス:水分はなし。完走タオルとバナナ4本を貰えます。

----- 環境 -----

声援:ほとんどなし。ただ、周回コースなので同じ人の応援を何回かもらえる感じはいい。
仮装:仮装禁止。いるはずもないけど。
参加賞:中判タオル
完走賞:なし
参加費:20kmは4500円+Tシャツ1000円(任意購入)+手数料283円。
手数料込みで5000円以下は今の時代安い方ではある(メダル等は何もないけど)。
10kmは4000円、5kmは2500円。
荷物預かり:貴重品のみ。
着替え場所:男子は近くの小学校の体育館、女子は会場内。使わなかったので混雑度は不明。

会場トイレ:仮設10基、既設もあるし赤塚公園内にもあるので不自由はしない。ただし大はどこも混む。
プログラム:立派な冊子を当日配布。
写真屋:なし。珍しい。
招待選手:ドーハ世界陸上明けの川内優輝選手。
ゲストランナー:なし
気温など: 曇り、無風。
気温はスタート時21度、湿度70%、昨年比5度高かったそうです。20kmゴール時は22.5度あたり。
その後太陽が出て体感温度が急に上がりました。

----- 個人データ -----

体重、食生活: 前々日の体重53.45kg、体脂肪率5.0%。
前大会(4月の長野マラソン)のときが61.2kg、13.8%でしたから、体重は−7.75kg、体脂肪率は−8.8%。
4月末からはじめた少食ダイエット(その後は糖質制限ぎみ食生活)であっさり痩せました。
7月に本大会に申し込んでからはスピード練習を中心としていましたが、暑い夏だったのであまりはかどりませんでした。
フォーム変更が効いた気がします。
ウエア:
NIKEグレー帽子、リストバンド、MIZUNO白ノースリーブシャツ、薄墨ボックスランパン(このシャツとランパンの組み合わせは私にとって夏場の正装です)、ZAMSTふくらはぎサポーター、メーカー不明の5本指ソックス(たぶん無印かユニクロ)、シューズはアシックス ゲルフェザーグライド4。
ダメージは両足全体の筋肉痛、左足裏マメ(左足母子球の内股側の側面、小さく痛みも弱い)、フォーム改造による腰痛を心配したが帰宅後すぐに入浴したりロキソニンテープ貼ったりのケアが良かったのか、筋肉痛程度で済んだ。


【エントリーから出場まで】

普通の市民マラソンとは趣を異にするこの大会、大学生や高校生が多数出場し、健康目的の市民マラソンではなく競技会色が色濃い大会です。
当然制限時間も厳しく、特に20kmは制限時間が100分(キロ5分ペース)ですから、ハーフなら1時間45分です。
かつては90分(4分半ペース、ハーフなら1時間34分)でしたから、だいぶ緩くなりましたが、それでも厳し目です。


私が初めて出たのが2006年の10kmの部でした。
当時は10kmの後に20kmの部のスタートでしたから、レース後に20kmの俊足選手を見送ってから帰りました。
この数年前に出たタートルマラソンで10kmの部に出たのですが、メインレースのハーフの部の方が華やかだったことから、翌年からメインレースのハーフに出るようになりました。
それ以降、ほとんどのレースでメインレースばかり走っています。
(フルやハーフを走っていれば自動的に一番長い距離となってメインレースになるのですが)

2006年の高島平で20kmのスタートを見送るまでは、とても自分がこの大会の20kmに挑戦するのは無理だろうと思ったのですが、見ているうちに気が変わりました。
20kmの部の最後の方の集団は私と同じようなランナー(体型とか年齢とか)だったので、私でも頑張れば届くかもと思ったのです。
もう一つは、いつもメインレースを走っているので、やはりメインレースに出たいという気持ちでした。
この時点で走歴5年、出る大会は完走できて当たり前となっていましたが、完走できるかどうかわからない大会が目の前に出現してくれたのは大きな刺激でした。
ついでに言うと、これを機に陸連登録をするようになりました。

2007年に20kmの部に出て完走、2008年も完走、しかし2009年は19km関門でアウトでしたので罰として翌年は申し込みませんでした。
2011年に再挑戦するも関門が厳しくなり17.5km関門でアウト。
その後ふくらはぎの故障でとても出場できるタイムは出せなくなり、3年のブランクの後、また大会に出られるようになった時には制限時間が100分と緩くなっていました。
キロ5分ならなんとかなるかも(関門のペースは置いておいて)、と思って2016年に申し込むがスピード練習をしたとたんに風邪で欠場。
しかもこの年を最後に大会消滅というショックなニュースが大会後に舞い込んできて、この時はひたすら落ち込みましたし、珍しく後悔しました。
(後悔したところで練習不足の上に風邪では、無理を押して出ても関門アウトだったでしょうけど)
しかし関係者の努力で復活、翌2017年にまた申し込むものの、またもやスピード練習で風邪をひいて欠場。
いくら本番では火事場の馬鹿力が出るといっても、最低でも練習でキロ4分50秒で4kmを走れないようなら、完走の目はありません。
私は市民マラソンは参加することに意味があるのではなく、最低でも完走しなければ意味がなく、完走できる見込みがないのに出場するのはちょっと違う・・・と考える方なので、さすがにもう申し込む資格はないよね・・・
と思っていました。

昨年は一週間で定員に達していたので、私のように申し込んでも2年連続で出なかったランナーに申し込む資格はないと思っていたのですが、7月22日にまだ定員に達していないことをたまたま知り、衝動的にエントリーしてしまいました。

今年はマラソン的には散々な年で、1月の勝田は30kmから延々と歩き、あまりの無様さに2月の北九州は欠場、3月の板橋シティも欠場して4月の長野は最後まで歩かないように走れたものの、大幅に歩いた勝田より遅いタイム。
故障から復帰後、長期低落傾向ではあったのですが、ここまで酷くなるとは。

故障復帰後の最速タイムは、故障前に比べて20分遅くなっています。
しかし、今年はそれよりもさらに30分遅く、復帰後もかろうじて死守してきた4時間を大幅に超えるタイムしか出せていません。
単なる加齢では説明つかず、なにか大きな病気が隠れているのかと疑いたくなるのですが健康診断の範囲内では異常なし、花粉症の薬によるインペアードパフォーマンスも疑ったのですが複数の医者の見解ではマラソンには影響なしとのこと。
なにかしなければ・・・といろいろ考えて、その一つがダイエット。
令和に変わる10連休前から少食ぎみにして多めに走るように心がけた結果、10kg近く体重が落ち、体脂肪率も計測下限の5%まで落ちました。
(その後、やや糖質控えめにしています)
5月は久しぶりに月400kmを超え(生涯2回目)、距離は十分です。
これだけ体重を落としたし、練習すれば4分50秒で20kmをなんとか出せる速度かも・・・
さすがに今年完走できなかったら、もう申し込むのはやめるしかないでしょう。
これが最後の挑戦になりそうなので、そこからの3ヶ月は高島平一色の練習でした。
とはいってもすでに季節は夏、明らかに昔より体力は落ち、以前は夏場でも水をかぶりながら20km走れたのに今では10kmすら一気には走れない状態です。
昨年、一昨年同様、やはり4kmを4分50秒が一つの目安でしょう。
それをクリアできなかったら欠場します。
ダラーっと10kmから20kmを走るいつもの練習をやめて、分割走を取り入れて6kmジョグ+4kmを速め(と言ってもキロ5分半が限度)という練習を繰り返しました。
(この程度の強度でも風邪を引いてしまうのですが)

大きなターニングポイントだったのがこちら https://arikura.com/how-to-run/#iのホームページ。
サブスリー向けの内容ですが、足を振り子のように振って走りがちな私にとっては目からウロコが落ちる内容でした。
特にアトムのジェット走法、膝を折って足裏から(鉄腕アトムのように)後ろに向かってジェット噴射するイメージの走法はイメージしやすく、また脚はハサミと同じに前後に開くという内容は、私にとって相当革命的なものでした(まだ実感できていませんが踵落とし理論も相当効果的だと思います)。
これまで色々な走法を探ってきましたが、このサイトに書かれている内容は一番説得力があるものでした。

最近、ハーフの大会でジョグペースに落ちてしまうのは、老化もあるし体重増もあるけど、やはりフォームが悪化していたのではないか。
フルばかりに出ていて、練習も長距離ジョグばかりに偏った結果、足にダメージを残さないように振り子走法になってしまい、それがスピードに乗れないでレースを終える悪循環になっているのでは。
私の場合、膝を折るというよりも後ろ足を引き抜くイメージの方がしっくりきましたが、はたして実践で役に立つのか。
それを確認したいと思った時、目前に9月の月例赤羽がありました。
当日受付で気楽に参加できる月例マラソンは便利です。
さっそく10kmの部に出ましたが、まだ9月で少し暑さが残ったもののキロ4分40秒で走りきれました。
これで出場資格ありと(自分的に)判断し、あとは風邪をひかないように、まるで人から預かった大切なもののように身体をいたわりながら、大会の日を待ちました。

10/1、ゼッケン引換のハガキ届いて気が付きましたが、スタートが8時半になっていました。
あれれ。いつの間にか早くなったんだろう(調べたら2018年かららしい)。
結構な早起きが必要ですが、時間が早ければ気温も低めとプラスに考えよう。
ゼッケンは1000番オーバー、何ブロックかは書いてないので不明(スタートはプラカードのタイム順でブロック整列ではなかった)。
10/13、台風19号あけに10kmビルドアップ走、最後がキロ5分1秒とまああまあ。
もうここまできたら無理はしません。


時計ですが、号砲でオンにしてグロスでのペースを測定したいので、春に買った新型時計にしました。
数年前からGPSウオッチを愛用していますが、1kmごとに勝手に計測してくれるオートラップは練習でもレースでも非常に便利です。
距離に誤差はあるけど、レース中に距離表示を見落としても心配ないので楽なのです。
これまで愛用していたEPSON SF-810はオートラップがONだと常に1km刻みで計測するので、ラップボタンを押しても押したところから1km後に計測するのではなく、常にスタート(最初にボタンを押した地点)から1km刻みになってしまいます。
春に買ったJ50Tは、オートラップで計測中にラップボタンを押せば、改めてそこから1km単位での計測になります。
号砲で計測を開始して、スタートラインでラップボタンを押せば、グロスタイムでの平均ペースと今のラップのペースが計測できますので、今回はJ50Tを使うことにしました。
(ちなみに心拍計を通常時はOFFにできることを知ってからは、バッテリーも長持ちするようになりました)

時計の表示画面は3画面+ラップ区切り表示時の4種類ありますが、通常表示しておく第一画面はスプリットペース/現時点のペース/走った距離という、高島平仕様にしました。
スプリットペースが4分50秒以下になったら、いくらそのラップのペースが良かったとしても15km関門アウトになるということです。
さて、完走できますかどうか。

【レース内容】

第一レースになっちゃったので、早起きしなきゃ。
4時5分に目覚ましが鳴る前に目が覚めました。
最近調子が悪い右下の歯が少し痛みます。
気温は8時で21.5度の予報、5時52分に家を出ましたが昨夜の雨は止んでいました。
うっかり乗り過ごして大手町で乗り換え、都営三田線に乗り込みます。
眠いので、缶コーヒーを飲みながらもウトウトしました。
7時ちょうどに高島平駅着、駅からはランナーがぞろぞろ出てきます。
9年ぶりの参加ですので土地勘もなくなっていますが、これだけ人がいれば迷うことはありません。
駅から会場まではあっという間、以前とは違うルートで歩いたのか見慣れない裏門から会場の旧高島平七小に入りました。
受付も早いせいか空いていて、会場の校庭には係りの人の方が多かった。
ゼッケンと有料で買ったTシャツを受け取り、校舎前に陣取ります。
参加者は少ないので場所取りも楽です。
参加賞はタオル(大判ではない)でしたが、欠場した時も有料Tシャツは後日郵送してくれるのが親切です。
(タオルは参加賞なので行かないと貰えない)
貴重品を預けてトイレに並びましたが、数人並んでいる程度で待ち時間は数分でした。
トイレは大小兼用、1つは女子用、既設トイレやアップ場所の赤塚公園にもトイレがあるので、混んでいたらそちらもどうぞ。 (ただし公園も大は混んでたが)

アップ場所は高島平五小(男子更衣室はここ)と赤塚公園、そこまでの道はジョグ禁止で、走るとすぐ注意されます。
近所の人への配慮です。

貴重品はビニールに入れて名前と電話番号(渡す時に電話番号で本人確認する)を2箇所に書く方式です。
念のため貴重品を預けて7時27分に準備完了、曇り、無風。
会場には3つほどですが飲食テントも出ていて、みたらし団子、赤飯おにぎりなどが売られていました。

持って行ったゼリーを飲んでからアップに向かいます。
途中、アップ場所の一つである高島平五小があるのですが気がつかず、気がついたら赤塚公園に着いていました。
じっくりストレッチしてからアップ、でもアップの速度が相当速いのが高島平らしい。
陣地に戻る時、高島平五小に速報が掲示されることを知りました。
以前は会場でしたが、場所が変わったようです。
持って行ったスポドリを飲んでスタートラインに向かいます。

スタートはブロック順ではなく、プラカードのタイム順に変わっていました。
大きな声では言えませんが、持ちタイムのブロックではなくズルしてひとつ前のブロックに並びました。
120分までのブロックでしたが、本来はその後ろの最終ブロックが私の位置です。
たぶんロスタイムは10秒か20秒程度の差でしかないでしょうけど、とにかく完走するために必死なのです。
(後で少し後悔したけど)

この日のためにGPSウオッチの第一画面には、号砲からの平均ペースを表示させています。
20kmで100分ですからキロ5分でいいのですが、スタートロスがあります。
それより問題なのは、15km関門が73分で閉鎖されることです。
計算上は15kmまでを4分52秒ペースですが、これにスタートロスが加わります。
スタートロスが15秒なら4分51秒、30秒なら4分50秒ペースが必要です。
私のスタート位置から、おそらく4分50秒を超えたら関門アウトとなるでしょう。

コースは一周5kmを4周回、以前は小刻みな関門がありましたが今は15kmのみです。
9月に4分40秒で10kmを走れたので、10kmまで4分40秒ペースで行って、10km地点で100秒の貯金を作る作戦にしました。
気温的に今よりやや厳しい9月に出したタイムとはいえ、10kmで終わるレースと20kmレースでは当然違ってきます。
10km以降どうなるかは分からないが、とにかく10km時点で最大100秒の貯金があれば、次の5kmは相当楽です。
仮に10kmまでが4分45秒までしか上がらなかったとしても50秒の貯金ができますから、10km以降にタレてキロあたり10秒遅くなっても関門は通過できます。
気持ち的に相当余裕あるレースができるのです。
15kmまでイーブンで行く作戦では不安なのです。
と言うのも、最近のハーフは途中からジョグペースにまで落ちてダラダラ走るだけという失敗レースばかりなのです。
序盤で無理するぐらい頑張らねば、ここ数年のハーフで味わっている失敗パターンの再現となってしまい、当然完走など夢で終わります。
直近のレース実績が月例10kmしかないこともあって、この作戦で行こうと決めていました。

ちなみに15km以降はあまり心配はいりません。
ゴールが100分制限なので、仮に15km関門を73分でギリギリ通過したとしても残り5kmは5分24秒という相当遅いペースでもいいのです。
さらいえば、このペースに15km関門通過時の貯金がプラスされます(貯金できていればですが)。
もし15km関門を関門閉鎖10秒前に通過できれば、キロあたりプラス2秒の5分26秒ペースでもフィニッシュできます。
ただし15km関門もゴールも、多少の誤差を考えないといけないのですが、まあ1分早く閉鎖するようなことはないでしょう。
(秒単位の誤差は考えられるが)


さて、そろそろ号砲です。
周りの多くが陸連登録のゼッケン(3桁)です。
小規模レースですので先頭から最後尾までの隊列も短めですが、音響設備がイマイチでスタート前のアナウンスがよく聞き取れません。
なにやらアナウンスがあってから拍手が聞こえましたが、後で考えたら招待選手の川内優輝選手を紹介していたようです。

久しぶりにドキドキしながらスタートを待ちます。

号砲が鳴り、ロスタイムは22秒。

スタート直後は4分22秒、よしよしという感じ。
ゆるゆると抜かれながらもいい感じで走り出しましたが、2kmで4分50秒と早くもヤバ目になっています。
また失速か・・・という嫌な予感が頭をよぎります。

3km以降も目標の4分40秒には遠く、なんとか4分50秒をギリギリ切るペースです。

5km(1周回終了)で帽子を取ってケツに挿した、というか埋め込みました。
これは初めての作戦ですが、曇っているのと気温が低くはないので、帽子を取りたくなったのです。
フルの場合はウエストバッグを付けているので手に持つしかないのですが、、今回は丸腰なのでケツに挿せます。
結果的には邪魔にならず、いい作戦でした。

気温は低くはない、帽子を取りたいぐらいの気温ではあるが、暑さに苦しむほどではない。
曇っていて体感温度が上がらなかったのが幸いしました。
終わってから太陽が出ましたが、陽が出ると急に体感温度が上がっていました。
天候にはまずまず恵まれたと言っていいでしょう。
例年ならもう少し低めだったはずですが、まだこの時期だと急に暑くなる日もあるので、そこそこという感じかな。


5km(一周目)を終えた段階で、スタートからの平均ペースは4分48秒と、関門通過の50秒をわずかしか切っていないペースです。
今後のタレを考えたら厳しい。
少しペースを上げたいが、上がらない。
まさか5km時点でこんなに遅いとは想定していなかった。
相当の誤算、この後にペースがガックリ落ちてジョグペースになって関門アウト、という最悪のシナリオが頭をよぎります。
(後で考えたら、スタートロスを差し引いて計算すれば4分43秒ですのでペースは悪くなかったかもしれない)

給水はスタートの先の一箇所だけですが、4テーブルもあるので助かります。
水のみですが、昔より格段の進化です。
4周回するので、取るどころではないスタート直後を除いて3回給水できます。
1回目は飲むだけにしましたが、2回目からは頭と体に水をかけて冷やしました。

周回の終わり付近に、ブラスバンドの応援がありました。
昔は見られなかった風景です。
沿道には、数は非常に少ないが応援する人もいてくれて、周回なので何回も声援を受けられるのがありがたいところです。


2周回に入ってからもペースは上がらず、時々4分50秒を超えるラップもあり失速を心配しました。
しかしスタートからの平均は4分48秒あたり、なんとか関門通過ペースを2秒上回る付近で踏ん張っています。
10km以降のタレを考えたらもう少し上げたいところですが、ペースが上がらない。
足の回転は9月の月例10kmの方がよく回っていました。
それがペースに現れているのでしょう。
2周回目の後半で先頭集団にラップされましたが、昔は3周回目で抜かれていましたので、こっちがそれだけ遅くなっている訳です。


2周回目を終えた段階(10km)で、スタートからの平均ペースは4分48秒。
相変わらず目標よりキロ8秒も遅いけど、なんとか関門アウトにはならないで済みそうなペースです。
1km2秒の貯金ができている、つまりこの時点で20秒の貯金ができている、と前向きに考えましょう。
マラソンは気力もまた命ですから。

10kmまでは先月の月例で走りきった実績がありますが、10km以上の距離をそれなりのペース(フルマラソンのレースペースを超えるペース)で走ったのは1月のハイテクハーフだけです。
この時はキロ4分59秒と相当遅いので、このレースを参考にはできません。
大げさだが、スピードを出して10km以上走るのが最近は未知の領域になっているので、関門までの残り5kmが相当不安ですが、タレないことを祈るしかありません。
10kmまでに100秒の貯金を作る作戦が失敗に終わった以上、とにかくこれ以上遅くならないよう、いや、できればペースアップするように頑張る以外にないのです。

今ひとつ脚の回転が悪いのですが、体調はいいので身体が20kmという距離に反応して無意識にペースダウンしているのかもしれません。
あるいはフォームが崩れているのか。
(着地が前寄りで、脚が止まっている(レシプロエンジンで言えば上死点)で接地していたのかな)

ほとんど抜くことがなく、後ろから抜かれるたびに食いついていこうとするのですが、食いつききれない。
4分40秒は遠く、頑張ってもたまに4分45秒あたりまでいくのが精一杯。
スタートからの平均ペースは4分48秒に張り付いたまま、作戦通りとはいかなかったけど、大きなタレはなく走れています。
1km過ぎるたびに関門通過の希望が膨らみますが、油断は禁物。
頑張るしかありません。


15km関門まであと少しの地点で、序盤に抜かれた女性ブラインドランナーが歩いているのが見えました。
伴走の人は普通に歩いていましたが女性が頭を垂れていたので変だと思ったら、泣いていました。
どうやら故障して走行不能になったようです。
無念でしょうし残酷ですが、これがマラソン、これが現実。


さあ、15km関門のスタート地点が見えてきました。
もう大丈夫、関門通過は確実。
それでも関門閉鎖のホイッスルが鳴らないか気にしながら駆け抜けた15km関門、黄色い時計は1時間11分57秒を示していました。
私が駆け抜けた直後に「あと1分」と叫ぶ女性の声が聞こえました。

やった、関門通過だ!

しかも1分の貯金があるので、完走はほぼ確実。
ただ、かつての北海道マラソンのように最終関門を通過したらフィニッシュするまで待ってくれる訳ではありません。
ゴールは100分で計時終了ですから、まだ完走できない可能性もあります。
なにより最後まで手を抜かないのが私のマラソンです(遅いけど)。
残り5kmはさすがにバテてきて4分50秒を超えるようにはなったが、なんとか5分は超えないように粘ります。

ランナーはまばら、ゼッケン4桁が一般男子の部ですので4桁ゼッケンの人を一人でもいいから抜きたいのですが、中盤で抜いた老年ランナーには抜かれちゃったし、陸連の部の3桁ランナーにもじわじわ抜かれます。
一人、歩いたり走ったりしている人がいましたが(4桁ゼッケン)、あの様子では100分に間に合わないでしょうからビリ候補にはならないでしょう。
(結果を見たら制限時間を大きく超えてフィニッシュした人がいたのですが、この人だったのかもしれません。
 100分を超えたら計時終了のはずなのですが、計時終了しなかったようです)


残り1km、もう完走は確実です。
ゴール付近は走路の幅を半分に分けて、片方はフィニッシュラインへ、もう片方は次周回を走るランナー用になっています。
かなり先に泳ぐようなフォームで走る赤いウエアのランナー(男子一般の部のゼッケン)が見えましたが、距離とペース的に追いつけそうにありません。
でも沿道のブラスバンドに手を振って自分に気合を入れて必死に走っていたら、沿道から抜けるぞという声が聞こえました。
久しぶりに酸欠になりそうなほど頑張って、フィニッシュライン直前の走路が半分になった狭いところで追いつき、追い越そうとしたら幅に余裕がなかったので反対側に回って、一気に追い越してフィニッシュ!!。

これで順位は一つ上がったので、ビリは免れたはずです。
でも、この大会は完走できれば大満足なので、たとえビリでもいいのです。
ビリでも完走は完走、私にとってはビリでも胸を張れる大会です。

フィニッシュ後には、汗はかいていたが噴き出すようなことはなく、気温と雲(終始曇り)には比較的恵まれた感じです。
特に陽が出ずに曇っていたのは助かりました。
フィニッシュ後はリ・ソビームという回復テープとドールのバナナ(4本)を貰い、ベンチでチップを外し(外してくれるボラさんなどいないのがこの大会らしい)、参加賞のタオルと記録証(親切なことにクリアファイル付き)を受け取ります。
ああ、本当に完走できたんだ。
11年ぶりの記録症、感無量です。

陣地に戻って学校の蛇口で顔を洗いましたが、いくつもある水場の中で昔使っていた水場まで移動して昔を思い出しました。
単なる小学校の水飲み場ですが、私の思い出が詰まっているのです。

それから貴重品受け取りの列に並びます。
やや混んでいましたが貴重品を受け取り、陣地でシャツを着替えました。
前はスポーツドリンクを貰えたけどなくなったので、家から持って行ってよかった。
重いけど念のため持って行った方が安心です。
ちなみに水は学校の水場で飲み放題です。
一度消滅したときまでは高島平・日刊スポーツロードレース大会でしたが、復活後は板橋区・高島平ロードレース大会となりました。
おそらくスポンサーの関係で予算が少なくなったのではないかしら。

表彰式を半分ほど見て、帰る前に結果速報が掲示される高島平五小に向かいました。
しかし、一般男子の部は50位までしか貼られていませんでした。残念。
私はそれよりはるかに遅いことは記録証で知っていたので、諦めて帰路につきます。

車椅子で運ばれている若い女性ランナーがいましたが、20kmの部が終わってから晴れて暑くなったので、熱中症かもしれません。
5kmの部を走り終えたらしき女子高生のランパンから見える脚が若さに溢れていて、学生の多い高島平ならではの光景でした。
(健康的とか若いとか、そういう目で見ていましたので卑猥な視線ではありません)
お祭りマラソン大会ではなく学生の記録会の雰囲気が味わえるのは、本大会ならではの魅力です。

久々の参加で土地勘がなく駅と反対方向に向かってしまい、10kmの部でランナーが帯状になって道を渡れないところで結構待たされ、ようやく渡ってしばらく歩いて間違いに気づきました。
戻ってまたランナーが途切れない走路を横切って、ようやく駅に着きました。
まだ10kmの部は続いており、小さくですが駅からランナーが見えました。


家に戻って大会プログラムを見たら、川内優輝選手が出場していたそうです。
川内選手は16位相当(一般の部なら2位相当)のタイムだったようですが、招待選手なので参考記録でした。

川内選手といえば、暑さが苦手との理由でMGC(オリンピック選手選考大会)には参加せず、事実上東京オリンピックを回避して9月末開催の世界陸上ドーハ大会に賭けたものの暑さで29位と惨敗、本大会はドーハ後の復帰戦でした。
ドーハは酷暑対策で深夜スタートにしたにかかわらず、それでも異常な暑さに見舞われた大会です。
特に女子マラソンはスタート時32度、湿度74%、68人出走して棄権が28人、完走率60%を割った惨憺たる有様でした。
川内選手は暑さが苦手でドーハに賭けたのですが、そのドーハが想像以上の暑さ。
しかもドーハの暑さでようやくIOCも東京の暑さに危機感を募らせ、11月1日になって東京オリンピックのマラソンと競歩を札幌開催に変更。
もう1年を切っているのに・・・。
最初から札幌開催だったら川内選手もオリンピック目指してMGCに出ていたかもしれないのに、なんたることか。
すでに東京五輪は半分以上失敗している気がします。


それはさておき、全レース終了後にサブイベントがあると書いてありましたが、ファンランと川内選手のトークショーだったそうです。
このあたりは昔の高島平ぽくはないけど、微笑ましい気がします。



かつてはフルマラソンで3時間半を切ると宝物が増えたような満足感がありました。
欲深い私なので、どんな時でも「もう少し速く走れたのでは」と思うのですが、それでも3時間半を切ることは大きな喜びでした。
故障以降は3時間45分が最速、今年になってからは4時間すら切れない状態です。
加齢もあるので、もう3時間半を切れることはないでしょう。
あの宝物はもう手に入らないんだと思います。

本大会は制限時間が100分に延びたとはいえ、11年ぶりに完走できました。
昨年、一昨年と、大会目指しての練習で風邪をひいて欠場。
いや、風邪をひいたから欠場というより、完走できるだけの走力がなくてスピード練習で自滅しての欠場と言うべきかな。
そういった経緯もあって、たかだか完走しただけのこととはいえ、大きな満足感を感じています。
そして、まだやれるかもしれないという希望も湧いてきました。
初マラソンならともかく、キャリア18年目のベテランが単なる20km大会を完走しただけで喜ぶのは笑われるかもしれませんが、笑われても馬鹿にされてもいい。
とにかく完走できて嬉しい、また宝物が増えた、そんな気持ちです。
この大会の完走は、私にとっては格別なものなのです。


完走したから言えるのですが、ズルして前のブロックから出たのは今となっては少し後ろめたいかな。
それだけ完走したかったのですが、今となっては正直に最終ブロックから出た方が良かった気がします。
結果的には、最終ブロックから走っていても確実に完走できました。
でも、若干後ろめたい気持ちがあるのも事実です。
これは「来年また出ろ、正規の位置から。」と言われているんだと勝手に解釈して、また来年も挑戦します。


作戦通りには全く行かなかったけど、スタートからの平均ペースは5km地点でも10km地点でも15km地点でも常に4分48秒でした。
5kmごとのラップは、0−5kmが4分48秒、5km−10kmが4分48秒、10km−15kmが4分47秒、15km−20kmはさすがに落ちて4分55秒でした。
ただ、スタートロスを引いたら0−5kmは4分43秒ですから、序盤はやや頑張れて、中盤に粘れたレースが出来ました。
(終盤にタレたのは計算通り、15km関門通過以降はタレてもいいという作戦でした)


作戦ですが、終わってから完走記を作りながらよくよく考え直したのですが・・・・・

よく考えたら4分50秒で走る作戦ならば、計時開始は号砲からではなくスタートラインを超えた時からのネットタイムで良かったことに気づきました。
つまりスタートロスの22秒は考えなくて良かったわけです(スタートロス込みの計時で4分50秒ペースでは二重計算になる)。
来年は、ネットタイム計測にするならスタートロスを30秒と見なして4分50秒ペースとするか、あるいは号砲から計時してキロ4分51秒強とすればいいはずです。
どっちにしろキロあたり1秒2秒の世界なので、それよりも練習して速くなれという話ですが、還暦近いとなかなかね・・・。
完走できたから笑い話ですが、計算は甘かったということです。


珍しく写真屋がいない大会ですが、学生ランナーファンらしき人が動画を上げてくれて、親切にも最後尾まで映してくれていたのでフォーム確認のいい材料になりました。
相変わらず酷いフォームですが、動画で確認できたのはいいデータになりました。


結果は2日後(即位の礼で今年は祝日だった)にはアップされていました。
板橋陸協


板橋区体育協会のHPにも乗っていました。
板橋区体育協会

久しぶりに満足できる大会になりました。
やはりマラソンは努力ですね。
2019−2020年シーズンを、非常にいい形で始められて嬉しいです。



【写真と記録】

タイムは自己計測グロスタイムです

goal:1時間36分31秒

走行データ


ペース



ピッチ



ストライド



心拍数




会場に向かう時の空。雲一色です。




先にスタートゲートが見えます。
歩いているのは全員がランナーでし。




会場の元小学校の校庭、時間が早いので係員の方が多い。




こじんまりとした会場です。




受付も小規模。




仮設トイレは10基、一つは女性用です。
既設もあるし赤塚公園にもあるので、さほど困りません。




一般の部でもチップは2枚です。




ここからはレース後。
机の上は入賞者に渡すメダルのようです。




11年ぶりの完走証、お宝ゲットです。




貴重品は名前と電話をこの袋と上の方の引換券部分に記入して預かってもらいます。
引換券と電話番号で照合します(ゼッケン番号は使わない)




高島平第三中学校吹奏楽部の演奏で表彰式です。




こちらは完走証などを渡すテント。
20kmの部は終わったし10km等の部はまだレース中なのでガラガラです。




陸連の役員さんには弁当とお茶が出るようです。




フィニッシュライン、車イスで運ばれているランナーがいました。
走路の半分は次周回用、半分はフィニッシュ用です。





フィニッシュゲートを反対から見たところ。
黄色の時計が二つあるのは、たぶん10kmと5kmのフィニッシュが被るからだと思います。





まだレース中、次周回に向かうようなので、みなさん10kmの部でしょう。




ランナー待ちで渡れません。
注目して欲しいのは、3車線の中央分離帯がなくなっていること。
レース中は外して鉄板を敷いています。
レースが終わったらクレーンで元に戻すのですが、昔は20kmの部が最終レースだったので遅いランナーが帰る頃には戻す光景が見られました。
今は20kmが第一レースなので帰り際に見かけることは無くなりました。




高島平駅からランナーが見えます。
ばらけていて木などの陰に隠れて、写真ではとらえられませんでしたが。




完走タオルではなく参加賞のタオル。
11年前はTシャツでしたが、完走してから貰うものは格別です。




別途希望者が購入するTシャツ。1000円の割にはいい感じです。
なにより完走できた大会なのでいい記念になります。
ドールのバナナは4本も貰えました。
甘くて美味しかったです。







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