会場風景 左のテントあたりがメイン会場で、右の土のグラウンド(古市場グラウンド)がスタート/ゴール地点。 大会本部付近。 フィニッシュ後にコースを撮影。 右のタイツの女性2人組(たすきかけてる)は、まだ走っています。 折り返しコースを3往復半しますが、最後の半往復の時はたすきを渡されます。 最後の半往復は折り返す場所が違うのと、折り返し後はゴール(コース脇のグラウンド)へ誘導する為の目印です。 複雑な折り返しコースですが、誘導が見事なのでなにも考えずに安心して走れました。 表彰式(地味です) 部門別に表賞されるようですが、女子18〜40歳は15人、41歳以上は18人と少数なので、俊足自慢の女子はぜひ表彰状を狙ってみてください。 フィニッシュライン 4時間をすこし過ぎたころです。 制限時間は6時間です。 <はじめに> 来年の北海道マラソン(タイム順スタート)で少しでも前の方からスタートするために、今シーズンはフルのグロスタイム短縮を目標にしていました。 北海道マラソンに向けて走り込んでいるうちに、なんだかアスリートモードになっちゃったので今年はNAHAマラソンは早々と欠場することにしたのですが、シーズン一発めのフルをどこにするか散々迷いました。 青島大平洋は遠くてお金がかかるからパス(今年はマラソン以外の出費が多すぎたので自粛)、時期的に出やすかった渡良瀬は開催中止、つくばはスタートラインまでのロスタイムが大きいのでパス、大田原は最後まで迷ったけど、那須は寒いと知人に脅かされたのと、新幹線移動だと交通費が結構かかるのでパス、結局近くて小規模だからロスタイムがすくなそうなこの大会に決めました。 主催は新日本スポーツ連盟川崎市連盟(連盟が続くが誤植ではない)、最寄り駅はJR南武線の鹿島田から徒歩15分、多摩川河川敷です。 記録狙いでエントリーしたものの10月はマラソンに集中できず走り込みが不足していたので、この大会での記録更新はあきらめて、前半から飛ばして後半のバテ具合を見る事にして、時計の設定タイムは3時間40分にしました。 これは自己ベストより7分速いタイムですが、このペースで中間点までいってみる作戦でした。 が、キロ表示が20kmまでなかったので、結局時計の設定は無駄に終わりました。 注:私の時計は事前に時間と距離を設定すると、1kmごとのラップを測るたびに設定ペースとのタイム差を表示してくれて便利。 5kmごとの距離表示しかない大会の場合は、5kmの手前で空押しを4回すればいいわけです。 でも、この大会は最初の距離表示が20kmでしたので使いものにならなかった・・・。 <大会の説明> 朝7時前に家を出て、会場には8時過ぎにつきました。スタートは9時です。 参加者は全部で300人程度、フルのみの大会です。 第一回大会なのですが、昨年までは横浜で開催されていたのが人数の増加で多摩川に移動しただけで主催者は同じだそうですから、たぶん運営は手慣れているだろうと思っていましたが、そのとうり、安心して参加できました。 トイレは河川敷に設置してあるものを使用するのですが、スタート前も走っている最中も十分な数でした。 水場はコース途中には何カ所かありましたが、スタート付近にはあったかしら・・・。 荷物預かりはなし。貴重品のみ有料で預かるそうです。 でもまあ、大会本部付近に置いておけば、たぶん安心だと思います。たぶんですが。 コースはフラットだけど大半が未舗装の河川敷を3往復半、坂は2回(土手の昇り降り)あります。 同じ河川敷でも荒川と違って未舗装がほとんどだから、雨風の時は辛いでしょうね・・・。 スタートライン付近にスペシャルドリンクを置けるテーブルがありまして、だれでも自由に置けます。 私でも置いて良いんです。 でも、飲んだ後、入れ物をどこに置くのかしら。まさか河川敷に投げ捨て??。 3往復半といっても、1回めの折り返しと2・3回目と最後の半往復では折り返す場所が違って、なかなか複雑なコースで説明しづらいのですが、そんなことは全く気にしなくてもコース誘導がしっかりしているので、安心してなにも考えずに走れます。 給水は1回目までは結構距離があったような気がします。 私は500mlのペットボトルとパワーゼリー持参で走りました(ゼリーは使わなかった)が、給水は水のみ(1回だけ薄いスポドリだった)、給食は人形焼きとバナナでした。 無給食で走りたかったけど、結局人形焼きは2回頂きました。うまかったー。 <レースの様子> 気温は低め、ロングタイツに着替えようかとも思ったのですが、まあ足は冷えても大丈夫だろうと思い、黒のボックスランパンにしました(ひざサポーターも付けなかった) (上半身は蛍光色のアディダス長袖シャツとナイキの手袋、途中手袋は付けたり外したりして、最後は腕まくり+手袋装着でゴールしました。) 寒かったのでアップは適当、これが悪かったような気がします(結果論ですが)。 震えながらメインテント横の古市場グラウンドのスタートラインに集合します。 フル100回楽走会の年輩の方々が数人最前列にいて、なんとなく私が最前列からスタートしても許されそうだったのですが、ちと遠慮してすこしだけ後ろからスタートしました(が、たぶん我が人生で最も前方からのスタートになると思う。スタートラインまでわずか2m) スタート直前、いきなり雲が取れ太陽が出て急に気温が上がってホッとしました。 まあそんなに寒くはなかったのですが、多少気温が上がった方がありがたいのは私だけではなかったようで、日射しを嬉しそうに見つめる人が何人もいました。 さあ、スタートです。 先頭の人がさっそくコースミスしそうになったようですが、すぐ係員の指示で戻ったようです。 ちなみにグラウンドを出てからは、スクーターが先導していたようです。 走りはじめて数キロ、早くも左足膝上が痛くなってきました。しかも右足の靴に小石が入っちゃいました。 キロ表示がないのでペースがつかめませんが、ずるずると抜かれる一方で早くも一人旅に近い状態です。 人数が少ないので混雑とは無縁で走りやすいのですが、どうも調子が上がりません。 20分から30分たって、いつもならエンジンがかかっている時間になっても、なんだか走るのが嫌で嫌で仕方がありません。 中間点までは飛ばして、という作戦どころじゃありません。 すでにリタイヤのことばかり考えていました。 20kmと30km地点は大会本部付近(スタート地点横)ですので、リタイヤするには好都合です。 どっちでリタイヤしようか、そればっかり考えていました。 (計時は手動、20km、30km、40km、ゴールの4回、人力で測ってくれます。結果は当日も貼り出したそうですが、見ずに帰りました。記録集は後日郵送してくれるそうです。) 早くもリタイヤ計画を練りながらの辛い走り、こんな状態じゃ来月のハーフは欠場しよう、1月のフルもやめようか、いや、しばらくマラソンから距離を置こう。どうしても走りたくなるまで大会参加はやめよう。 そんなことばかり考えての走りでした。 今年3月の荒川市民ではトイレに何回も行って4時間半、4月のかすみがうらでも同じような展開で4時間40分でした。 いつもは中間点付近で1回トイレに行くだけなのですが、調子が悪いと走りから体が逃げるようで、何回もトイレにいくようになります。(たいして出ないし、行ってもスッキリしない。要するに体が休みたがっているだけ) 今回も57分位の時に早くも1回目のトイレ。 しかも、トイレに入る寸前に前の方から回り込んできたランナーに先を越されちゃって、余計なロスタイムが増えました。 もうこの時点でロクな記録は出ないと諦めました。 自己ベスト更新はともかく、それなりのタイムで走れそうならまだやる気も消えなかったんでしょうが・・・。 あー、何一つ収穫のない大会に終わるんだな。 1時間を過ぎたころには、もう20kmでリタイヤすることに決めました。 くやしさも情けなさも感じないのがやる気の無さを物語っています。 どうやってリタイヤすればいいのかな。 とりあえず、主催者に伝えればいいのかな。 とにかく20kmで終わって、さっさと家に帰って風呂に入るか。 しばらくは、マラソンは中止だ。 リタイヤを決めても、歩く事だけはせずに走り続けました。 距離表示がないのでペースはわからないけど、もう早く帰る事しか考えていませんでした。 小規模な大会ですから、一人旅に近い状態です。 河川敷ですから沿道の声援もないのですが、2回ほど親子連れから声援を受けたのですが、子供から「お兄ちゃん頑張って」と言われたのはキツかった。 お兄ちゃんじゃなくてオジサンなんだ、というのはともかくとして、なにしろ20kmでリタイヤするって決めているのですから、手を振る気持ちになれなかった。 大人数の大会と違って、なにしろ一人旅状態(後ろのランナーの足音が聞こえない)での応援は、どう考えても私個人に向けてのもの。 「応援ありがとう。でもごめんね。オジサンはね、この先20kmで、まだ全体の半分にも行かない所でレースをやめちゃうんだよ。」 と、心の中でつぶやきながら、それでもゴールを目指す気持ちにはなれませんでした。 一度折れた心は戻らねぇんだよ。 早く20km地点に戻って楽になろう。 それしか考えていませんでした。 ようやく20km地点(つまりスタート付近)に戻ってきました。 人力計時なので、手前のほうで拡声器でゼッケン番号を男性が読み上げ、コース横の長机にいる数人の年輩女性がストップウオッチで記録してくれていたのですが、なんだかその姿を見たとたん、リタイヤするのが申し訳ない気になって、しかもコース左のテントに置いておいた荷物が、実はコースの右側だった(私の勘違い)こともあって、なんだか止まり損ねているうちに通り過ぎてしまいました。 まあ、ここから5kmも走ればまたここに戻ってこられるから、もうちょっと走るか。 どうせ20km時点では2時間を超える遅さだろうと思っていたのですが、早く帰ろうとしか考えなかったのがよかったのか、それとも最初の頃は意外といいペースだったのか、20kmの時計は1時間48分と、予想以上のいい数字でした。 サブフォーで走れる・・・リタイヤするの、ちと勿体ないかも・・・でも、もうやる気はない・・・と悩みながらの走りでした。 走りながら、時々追い付くランナー(小規模なのでほとんど一人旅だった)は、当たり前ですがみんな苦しそうに走っていました(追い付かれるってことは苦しくてペースダウンしている証拠)。 その顔を見て、あー、マラソンって苦しいのが当たり前なんだっけ、今の俺はそこまで自分を追い詰めていないよなぁ、となんだか妙に余裕のある自分は間違っていると思いながらもリタイヤのタイミングを考えていました。 25kmが2時間15分、30kmが2時間45分、ここまで来るとさすがに完走に気持ちが切り替わりました。 30km以降は調子が出てきて、気持ちも乗ってきました。遅すぎですが。 結果的には25km〜30kmがキロ6分近くまで落ちましたが、それ以外は5分半ぐらいで、まあイーブンペース、少なくとも大幅ダウンはありませんでした。 舗装無しが大半のコースなのでシューズの中に砂が入ってきたり、足の裏が痛くなったり、肉体的にはどんどん辛くなってきましたが、気持ちが入っているからさして気になりませんでした。 やっぱりマラソンは気持ちが全てなんですね。 無給食で走るつもりでしたが、さすがにキツくなって2回人形焼きを食べました。甘味が体に染み込んで実に美味しい。 最後の半往復はスパートしたつもりでしたが、結果的には妙に遅かった。 やっぱりアップ不足で前半メタメタだったことが最後まで響いた感じでした。 それでも、なんとかゴール。 人気がなくて今までで一番地味なゴールでしたが、一番勉強になったゴールでした。 自分の力ではたどりつけなかったゴール、感謝というか申し訳ないような気持ちでフィニッシュしました。 たった1人のランナーは、大会全体からすれば1%どころか0.1%以下の誤差のような存在ですが、それでも大会の一部なんだということをはじめて感じた大会でした。 それと、あきらめたら終わり。その時点で負け。 でも、リタイヤするまではまだチャンスがあるから、最後の最後まで投げちゃいけないんだ、ということを強く感じました。 それと、アップは十分しないといけないんですね。大反省。 12回目のフル、いい勉強になりました。 (3時間52分でした) |